どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.34~  サワガニ(沢蟹)…さわさわ

-No.1984-
★2018年02月26日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2910日
★ オリンピックTOKYOまで →  514日
★旧暦1月22日、下弦の月
(月齢21.6、月出.....:.....、月没10:32)



★一生を淡水ですごす蟹★

 「沢蟹」は、文字どおり渓流や清流の生きもの…だけれど。
 戦後すぐ1945年(昭和20)生まれのボクが子どもの頃には、京浜工業地帯を流れる鶴見川(神奈川県)の岸にも、(ボク自身にも信じがたいくらいだが)その姿が見られた。

 その頃、川崎市に住んでいたボクは、(もう誰だったかも忘れたが)近所のガキ大将に引き連れられ、好奇心の趣くままに、あちこちタンケン遊びに出かけていたわけだが。
 その頃さまざまあったなかで、いまも色濃い印象になってのこっていることが、2つ。

 ひとつは、鎮守の杜 裏山 の藪に見つけた、カラスウリのオレンジ色に熟した実。
 もうひとつが、ズボンの裾を膝まで捲って伝い歩いた川岸の、ナニかの樹の根方に逃げこみかけた沢蟹の、(きっと陽の光の加減でもあったろう)こちらをキロッと瞠った(…ように見えた)目。
 あれほど欲しかったものに、そのとき、手が出せなかった。

  ……………

 その頃のボクはまだ、海の蟹と川の蟹があることを知った程度で、沢蟹が日本の固有種であることや、この蟹が一生を淡水域ですごす純粋な淡水蟹であることまでは、知らなかった。
 (淡水で捕れる大型のモクズガニなども、海で生育してから川に入り、その後は川と海の間を回遊してすごす…でないとあんなに大きくはなれない)

 純粋淡水性の沢蟹は、したがって、潮流にのって浮遊するプランクトン幼生時代をもたない。
 そのために、海にくらべて栄養分の少ない、川(淡水)や沢(渓流)で繁殖するのに有利な進化をとげてきた。

 その大きさ、朱色に見える脚までふくめても、子どもの手に包みとれるほどの。
 沢蟹のメスは、春から夏にかけての繁殖期、(ざんねんながらボクはまだ見たことないけれども)直径2mmほどもある、大きめの卵を少なめに生んで、腹脚に抱き抱えて保護し。
 幼生は卵の中で変態をすませ、孵化するときには もう ちゃぁんと蟹の姿をしている。
 そうして稚ない蟹の仔も、しばらくは母蟹の腹部に保護されて成長する。

 ……………

 長じて旅人のボクは、沢蟹の唐揚げに出逢うことになる。
 宿の食膳、たいがい酒肴か前菜の細長い皿の、端っこに一匹、端然とこちらを見上げている。
 ひきこまれるように箸でつまに、歯にあてるとカリッと舌に砕けて落ち、噛んでもほとんど甲羅の食感ばかりで、露ほども身肉を味あわせない端正さに、あわせるものは酒しかない……風情。

 ボクは、それから、子どもの頃の沢蟹との付き合いに、しばらくは想いをはせることになる。
 小さな沢蟹は、もちろん弱い存在だけれど、ナニモノかに喰われた残骸よりも、ボクは自然死と思われる五体満足な屍骸をたくさん見てきて、心づよく、むしろ励まされるように感じたことを覚えている。
 沢蟹の一生は10年くらいだそうだが、潮水には対応できない体だから、まちがって海へ流されてしまえばオシマイなのである。

 信州信濃五色温泉、五色の湯を訪れたときには、かみさんが甚〔いた〕く沢蟹の唐揚げに心酔してしまい、いまだによく想いで話をする。
  沢がにの 唐あげ ここは 奥信濃
 そんな句碑が宿の前にあって それも 唐揚げを味わってのちに眺めれば なるほど のものだった。

 五色の湯はその後、建物もすっかり新しくなっていると聞く。
 その爽味快感がよろこばれる食膳の沢蟹は、いま、多くは養殖ものが幅を利かせているそうな……