どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記16>-石巻市③-牡鹿の浜

-No.1977-
★2018年02月19日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2903日
★ オリンピックTOKYOまで →  521日
★旧暦1月15日 → 待宵月、小望月、満月へ2日
(月齢14.6、月出16:57、月没06:03)
※きょうは、二十四節気の「雨水」、雨水ぬるみ草木の芽吹く頃…という、まさにそんな気配になってきました。そうして、きょうの日はまた、七十二候の「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」つまり「雨降って土湿り気を含む」…これもピッタリ感々!












牡鹿半島の浜がもがいている

 「石巻市」と、いまはひとくくりに言われる…けれど。

 その実態は、構成がなかなかヤッカイ(一面ユニークという見方もできるのだろうが)で、石巻港から内陸方面へ広がる市街地と、石巻湾を抱いて太平洋に突き出す牡鹿半島とでは、性格がまるで異なるし。
 さらに、三陸南部のリアス海岸がつづく浜伝いの地域があって、その間には別自治体の女川町も挟まって存在する。

 東日本大震災の直後には、旧北上町や雄勝町の人々から「石巻市と合併したのがヨカッタのかどうか?」という声が、少なからず聞かれた。
 事情の異なる地域が混在するためか、復旧・復興の方針がなかなか充分には行きとどかない、からであったろう。

 ま、日本という島国はどこへ行っても似たような状況…とも言えるのだ、が。
 それにしても、ここ石巻にかぎらず、宮城県では各地で自治体と住民の間に悶着・軋轢が多く、あちらこちらで後を絶たない。
 行政サイドが十分な説明責任を怠ってきたからか…、それとも宮城県の人心が権利意識が(エゴに近いほど)つよすぎるためか…、詳しくは知れない。

 けれど、たとえばお隣り岩手県にくらべても、モメゴトが多すぎる気がする。

 ぼくは、こまかい事情には疎い他所者には違いない、が。
 行政サイドの対応が杓子定規の一律にすぎ、配慮がたりなくも思われるし。
 いっぽう、どんなに小さな浜もひとしく復旧させる意義が、はたして将来的にあるのか疑問に思われる場合も少なくない。
 要は、「これからの次代を見据えての対処方針」がはっきりしていないことに、すべての原因があるのではないか、と思われるのだ。

 ともあれ、牡鹿の浜を行く。
 生憎の雨模様に難儀しながら……

◆桃浦

 牡鹿半島の首根っこ、万石浦をすぎて間もなくの桃浦は、石巻の市街に近いぶん地理的に有利な位置にあり。
 深く湾入した波静かな浜へは、ライフラインの県道からクネクネと坂を下る。

 その入り口、付近の高台には、小さいながら新しい住宅群が建っている。
 いずれも、大震災の前は浜にあった家だろう。
 他所でも何処でも、震災後はあたりまえのことになった、<高台移転>の風景。

 ところが
 浜に下って見ると、港に近く高台とは言えない後背地にも家(漁業施設ではない)がのこっており。
 浜とは、高く分厚く新造された防潮堤で仕切られていた。
 防潮堤の高さは、(写真でご覧のとおり)ぼくの背丈の倍ちかい、3mはあるだろう。

 <砦を守る城壁>然として。
 しかし、どう見ても必要以上に大きく立派にできた港の風景と共に、違和感を抱かせる。

  ……………

 桃浦ではいま、「(他所の)多くの人に漁業を知ってもらい、漁業の担い手になってもらおう」と、筑波大学と協働(桃浦浜づくり実行委員会)で「牡鹿漁師学校」を開いている。
 津波被害をうけて「居住制限区域」となった山裾の平地を利活用して、そのための宿泊・研修施設もできていた。

 人手不足が懸念される将来を見据えて、意欲的な試みといっていいだろう、が。
 都会資本の参入しやすさをねらった「改正漁業法」のもとで、(どうやって生きのこるか?)が問われることになる。

◆大原浜・給分浜

 桃浦から、さらに沿岸を行くと、半島のなかば辺りに大原浜・給分浜があり。
 前が大きく開けた浜は、湾入も広いために、防潮対策にも力瘤が入るからだろう。
 丈高い防潮堤が延々と浜伝いにつづいて、先は雨に煙って茫〔ぼう〕と霞む。

 高さ6mのコンクリート壁の囲いは、「壮観」と言えばなるほどソウカンだし、「無粋」と言えば救いようがないほどブスイきわまりない。
 つまり、人の命を守るための設備でありながら、徹底的に人気〔じんき〕が排除されているから、(救いがない)感じがする。

 とうぜん、たくさんの異論・反論があることだろうと思ったら、まさしくそのとおりだった。
 誰も、防潮堤が「必要ない」とは思っていない。
 なにしろ、《11.3.11》大津波の実体験は半端じゃなかったし、被害の大きさはみな身に染みている。
 
 しかし海は、<漁の海>だけじゃない、<景観の海>でもある。
 漁師は、昔から海の色や波の具合から沖の様子を判断してきたから、「海の見えない方が不安だ」と訴える。
 また一方、浜には「海の眺めがいい」のをウリに民宿や商店を営む人の家もある。
「もうちょっと低くてもいいんじゃないか、3mくらいとかさ…」
 彼らの意見(というか望みはソコにある)

 しかし……
 〝結果責任〟を問われる行政サイドは、「そうですか」というワケにもいかない。
 現実、7年前の大津波でイチバンの問題とされたのは「想定の甘さ」だった。

 これからも
 いつでも
 どこでも

 直面していかなければならない<海辺の課題>には。
 もうひとつ、突き抜けた発想の智慧が望まれるのだろう、気がする。

  ……………

 ちなみに、国交省が定める津波対策には2段階あって。
 〇レベル1(防災レベル)は、数十年から数百年に1度くらい起きる規模の津波を想定、人命と財産を守り港湾の機能維持を目指すもの。
 〇レベル2(減災レベル)は、東日本大震災級の大規模津波(数百年から千年に1度くらい)を想定。この場合は人命を守るのが精いっぱいで、他の経済的損失などは<軽減>させる程度を目指すもの。

 いま整備されている防潮堤の規模は、「レベル1」。
 つまり、これでも「完全には防御できない、万全とは言えない」程度のもの、ということになる。
 
 岩手・宮城・福島の3県で造られることになっている、591ヶ所(総延長366km)の防潮堤のうち。
  〇完 成 37%
  〇建設中 54%(計91%)
  ※4ヶ所で地元の同意が得られていない。

  ……………

 雨はやまず、雲行きもよくない。
 ぼくたちは、この先、沿岸捕鯨の基地のある鮎川まで行くことを断念。
 半島を横断して女川町に出ることにした。