どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記14>-石巻市②-日和山と石巻日日新聞

-No.1973-
★2018年02月15日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2899日
★ オリンピックTOKYOまで →  525日
★旧暦1月11日 → 満月へ5日
(月齢10.6、月出12:35、月没02:09)













◆手書きでいこうや!

 「石巻日日新聞」 https://hibishinbun.com/ という地方紙(夕刊紙)がある。
 「日日」は「にちにち」ではなく、「ひび」と読む。
 その響き、アットホーム。郷愁を誘うものがあって、ぼくは好きだ。

 ぼくたち大都会に暮らす読者は、あの東日本大震災の後、現地から届くナマな庶民の表情を、多くは地方紙から配信される〝日日〟の記事で知ることができた。
 そんな東北地方紙のひとつが石巻日日新聞。

 《11.3.11》から7年をすぎて、<挨拶>に訪れることができた。
 読者にとって、新聞社の場合は、記事を読むことで、それぞれの新聞社の特徴や性格はすでに知っているわけだから、初対面のようでも旧知のようでもあり、<訪れる>というより<挨拶>に行くといった方がふさわしい。

 まずは、石巻の定点ポイント「日和山」に上がる。
 このたびは、復興の〝槌音〟が聞こえてくるような街中の<縄張り>が、なにより印象に濃かった。

 そうして、この日和山が、未曽有の大津波《11.3.11》の際には、多くの市民の命の「お助け山」になった。
 市民の中には報道記者もまじっていたわけで、彼らにとっては、かつての<風待ち・天候待ちの高み>が、<被害の全貌を知る〝観望山〟>となった……
 
 石巻日日新聞は、その日和山から眼下に望む旧北上川河口、日和大橋際から南へ、南浜町、門脇町。
 そこから西へと目を転じたあたりの、双葉町にある。
 すぐ海側が日本製紙の大工場という立地だ。

 <挨拶>に立ち寄る…といっても、対面する人のアテはない。
 記事を書いた記者たちの多くは、いまこのときも取材に散っているはずだし。
 受付に声をかけて資料室「石巻ニューゼ」の所在を尋ねた。

 じつは、新聞社の資料室なら本社ビル内に同居してあるだろう…ヨミだったのだ、が、そのビルは小ぢんまりしたものだった。
 受付の女性が、慣れた様子で、手際よく案内チラシで道を教えてくださる。
 とうぜん、というべきか目指す「石巻ニューゼ」は、石ノ森萬画館に近い街中にあるのだった。

  ……………

 「石巻ニューゼ」
 震災と石巻地域の歴史、文化を伝えることを目的に、石巻日日新聞社が創刊100周年記念事業として2012(平成24)年晩秋に開設。

 設立の主旨は、「地元新聞社として東日本大震災直後からの被災地、被災者を取材し続けてきたことをもとに、<3・11 あの日の石巻>、復旧・復興、そして<現在の石巻>を伝える」活動を報告すること。
 じぶんたち「地域貢献を目指す者」は「ジャーナリストよりローカリストであれ」の信念だった。

 展示のメインは、震災翌日の11(平成23)年3月12日(土)から、輪転機が復旧するまでの6日間(社屋は流出を免れたものの新聞印刷の輪転機は泥水を被って稼働不能…)に、1枚1枚、手書きで発行しつづけた6枚の壁新聞だ。
 (ぼくも、そのことを東京の空の下、時々刻々の報道で知らされていた)

 避難所に張り出され、市民に貴重な情報を提供しつづけた紙面、当時のままに、いちぶ用紙が破れたり手垢に汚れたりしながら残された苦闘の痕が、いまもなまなましい。
 展示を眺めながら、若い社員の方から、門脇小学校の火災のことなど、あれこれのお話を聞かせていただいた。

 できればチャンスをつくって、ぜひいちど、現地に脚をはこんでいただきたい。

 ここでは、石巻日日新聞社編の本『6枚の壁新聞-石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録-』(角川SSC新書)をご紹介しておこう。
 (本の帯には「わかることだけでいい! 手書きでいこうや」彼らの姿勢を示す一文…)
 
 この本のほか、6枚の壁新聞をセットにした絵葉書も「石巻ニューゼ」で購入できる。

 この本を読んで痛切に感じるのは、立場としては同じ市民の、しかし新聞記者である自覚がもたらす、<伝聞>によらない実体験報告の迫真力だった。

 ちなみに石巻日日新聞社では、6人の記者をはじめ経営陣も含む28人全員に死者がなかった。
 本を読んで思ったのは、報道に携わる者の意識に、つねに内在した万が一の非常時<津波>に備える心構えがあったからこそ…という事実である。
 一般市民に、この内在する危機意識があったら、少なくとも、人命の喪失はもっと少なくてすんだはずだ。

 新聞記者も人の子だから、現実、酷い災害場面に直面すれば判断が狂うこともある。
 記者の一人は、不覚にも津波に呑みこまれ、いったんは外洋に流されながら、浮流物につかまって一晩漂流の後、翌朝、救難のヘリコプターによって救出されている。

 それも、イザという場合にとるべき行動についての、内在意識があったからこそだ、と言ったら、言いすぎだろうか……