どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記・番外編> 日本一低い「日和山」から登頂証明書とメッセージ

-No.1970-
★2018年02月12日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2896日
★ オリンピックTOKYOまで →  528日
★旧暦1月8日 → 上弦まで1日
(月齢7.6、月出10:31、月没....:....)
*きょうは七十二候<略本歴=日本>の「黄鶯睍睆(山里で鶯が鳴き始める)」、<宣明暦=中国>だと「蟄虫始振(冬ごもりの虫が動き始める)」。どっちにしても、まだ早いが、地中の虫はモゾモゾし始めているかも知れない。





◆遠きより信書とどく

 
 郵便の<たより>がガクンと減って、<封書>にしても初めから中身を見せようと意図した宣伝ものばかり、になってきた…昨今。
 それでも封書を手にして、裏書きの差出人を確かめたとき、これまでの経験からだろう、半ば中身・内容が見とおせるようで心たのしいことがある。

 こんど、ひさしぶりに、その感を深くした封書は、東北・宮城・仙台から届いた。
 ぼくが旅する理由〔わけ〕のひとつに、旅さきでのさまざまな出逢いがある。
 邂逅の謝辞に、丁寧な返信があるとホッとこころ和む。

 その封書(A4判が入る大きさの茶封筒)の差出人は、佐藤正信さん。
 ぼくは(ヒョッとすると…)と小さな胸さわぎ、そっと抑えて。
 開封してみたら、ドン・ピシャのプレゼントであった。

  ……………

 このブログ。
http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=10257846132676049131
 1月25日(金)投稿の-No.1952-記事「2018さんりく巡礼<報告記09>-仙台市-蒲生干潟・日和山」でお世話になった方からのメッセージには、ステキなオマケがついていた。

  ……………

 『登頂証明書』
 添え書きには<標高3m日本一低い山『日和山』に登頂したことを証明します>と記され、まさにその日<平成30年8月27日>の判が押されて、しかも、かみさんの分もふくめて2通。
 通しナンバーは<0448>と<0449>であった。

 この話しには、少し説明がいるだろう。

 仙台市宮城野区仙台湾に面した蒲生干潟に存在する「日本一低い山」標高3mの日和山を訪ねて、道探しに難渋したぼくが、助け舟をお願いしたのが「中野ふるさとYAMA学校」の佐藤さん。

 ちなみに〝中野〟というのは、蒲生干潟・日和山がある地区の名。
 東日本大震災による甚大な被害に遭って、「災害危険区域」に指定された中野・蒲生地区は居住できなくなった(現在は工業地区として再開発が進む)。
 これをうけて、これまで培われてきた地域のつながりを守り、文化の継承をめざして発足したのが「中野ふるさと学校」というわけだ。

 電話で道順を懇切に教えていただいたあと、佐藤さんは、事務局のある市民センターに寄って「登頂証明書をもらってください」と仰ってくださったのだ、けれども、先に予定のあったボクたちにはその時間がとれなかったのだった。
 佐藤さんは、そんな事情をこころえて配慮くださった、アリガタイ!

 以下に、『登頂証明書』の裏面に記載された日本一低い仙台蒲生「日和山」の由来を、転記させていただく。
「江戸時代につくられた蒲生・日和山は標高が6mあり、日本で最も低い山でした。しかし、1996年7月に天保山(大阪湊区)が国土地理院の地形図に掲載されると、日和山は日本で2番目に低い山になりました。
 2011年3月11日東北地方太平洋沖地震で発生した津波により山が削られてしまいました。
 2014年4月、国土地理院の調査で標高3mの山として確認され、再び国土地理院の地形図に掲載されることになり、日和山は18年ぶりに日本一低い山と正式に認められました」

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  〽山男 よく 聞けよ

 日和山の「山開き」は毎年7月1日。
 参加者は皆、(日本一低い山に敬意を表して)本格的な登山の装備で参加する。

  〽娘心はよ(~ぉ) 山の天気よ

 「中野ふるさと学校」主催の日和山登山は、7月7日(日)10時から。
 参加希望など、問い合わせは事務局☎022-258-1010(仙台市高砂市民センター)へ。