どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼 / <報告記13>-松島町-瑞巌寺

-No.1965-
★2018年02月07日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2891日
★ オリンピックTOKYOまで →  533日
★旧暦1月3日 → 三日月、若月、眉月
(月齢2.6、月出08:01、月没19:18)










◆多島湾が津波をなだめた

 地図をお持ちの方は、まず、ご覧いただきたい。
 東北の沿岸部、仙台の北、松島湾のあるあたり。

 「なんでぇ!」
 思わず嘆声がもれてしまうほどに、凹んだ腹がある。
 ぽっこりメタボ腹の人には、羨ましいかぎり。

 この仙台湾を境に、南のなだらかな〝浜〟と、北のごつごつ出入りする〝磯(リアス)〟とが分かれる。

  ……………

 仙台湾からさらに奥まってある、松島湾
 およそ、長さ7㎞・幅5㎞・面積40㎢という、まことにささやかな「箱庭」に。
 大小260余りの小島が点在、地理的にはこれも「多島海」と呼ばれる…が、その実質は島々の間を縫って縦横に巡る〝水路〟と言ったほうが、よほどふさわしい。

 いうまでもなく、これはごく大雑把な見方ではあるけれど。
 松島湾の岸は、他所にくらべて津波の被害が大きくならなかった。
 いうまでもない、大小の小島がたくさん点在し、その間に水がある…海というより〝水路〟だった環境が津波の破壊力を減殺したからだ。

 ありがたい、ことは、それにとどまらなかった。
 支援のボランティアが、松島地域には他所より多く訪れた。
 全国区の知名度をもつ観光地には、さいわい、それだけ親身に感じてくれる人も多かった。
 なかには学生時代、合宿でお世話になった人たちも少なくなった、という。

 (結果、復旧も、もっとも早く達成されることになり、東北復興の〝旗振り〟役にもなれた)

  ……………

 だから、ぼくは、支援の初動段階で(松島のことは松島ファンにまかせよう)と思った。
 そこで、ぼくたちは、仙台湾松島湾の間に〝外壁〟となって被害に遭った奥松島(東松島町)の方へ向うことになったのだった。

 しかし、松島を忘れたわけではない。
 奥松島へのアプローチには、なるべく、その湾岸、汀づたいの道を行くようにしてきた。

 そうして8年目になる今年。
 『奥の細道』で芭蕉が「仏土成就の大伽藍」と讃えた瑞巌寺に、「ようやく東北復興が緒に就いた」ことの報告と、そのお礼参りに訪ねることができた。
 ちなみに、「松島青龍山瑞巌円福禅寺」は、ぼくん家と同じ臨済禅の寺である。

 台風の近づく気配のなか、あいにくの雨模様ながら……
 この大伽藍を完成させた伊達政宗公も潜った御成門など、荘厳の気ただよう順路を拝観する人たちの列が、この日もつづいていた。

 もうひとつ、せめて「松島四大観」のひとつ、多門山の「偉観」か扇谷の「幽観」を観ておきたかったが…雨空を睨んで、あきらめた。

 お隣り塩竃市の塩竃神社にも詣でておきたかったが、これも諦めざるをえず。
 かわりに、市役所に教育委員会を訪れ、「2020東京オリンピックの聖火をバイオメタンで燃やそう!」プロジェクトへの協力をお願いしてきた。
 塩竃の市役所は、狭い街並みの細道が縦横にはしる辻のビルに治まっていた。

東日本大震災[松島町の《11.3.11》被害]
  〇震災前の人口 15,085人 ※10年10月末現在
  〇震災後の人口 14,196人 ※18年8月22日現在

  〇直接死者 2人
  〇間接死者 5人
     (計 7人)
  〇行方不明者 なし

  〇全壊家屋   221棟
  〇半壊家屋 1,785棟


 
塩竃市の《11.3.11》被害]
  〇震災前の人口 56,490人 ※10年10月末現在
  〇震災後の人口 54,531人 ※18年10月末現在

  〇直接死者 24人
  〇間接死者 18人
     (計 42人)
  〇行方不明者 なし

  〇全壊家屋   672棟
  〇半壊家屋 3,278棟