どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.25~ 「なおみ」オーストラリア・オープンを制覇

-No.1955-
★2018年01月28日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2881日
★ オリンピックTOKYOまで →  543日
★旧暦12月23日下弦の月(月齢22.4、月出...:...、月没11:20)



★わ~ぉ…パワフル&キュート!★

 テニスの大坂なおみが、26日。
 全豪オープンの女子シングルスに優勝。
 (2時間27分のベスト・マッチだった)
 これで全米につづく、グランドスラムを2連覇。
 ついでに、世界ランキングも1位へ。
 「日本選手初」ずくめ……

 久しぶりに興奮させてもらった。
 日本がまたひとつ、新たな歴史をきざむことになる、ことし。
 そんなニッポンの体内に〝新しい血がめぐる〟、ここちよい刺激…これも〝象徴的なこと〟といっていい。

 テレビ中継の画面を、くいいるようにして追った。
 この試合には、3つのポイントがあった。

 1つめは、第1セットをタイブレークの接戦の末にとったこと。
 <ファースト・セットをとれば負けナシ>の彼女にしても、この大舞台でのことは格別だったにちがいない。
 そこに「なおみ」の成長が見てとれた。(精神的に)「3歳から4歳になった」と本人も認めた(それが優勝後には5歳くらいなれた…と、カワユイ!)。
 (よし、イケル)彼女の表情に、そんな想いが耀いた。

 2つめは、第2セット。
 相手のサービスゲームを40-0と圧倒、もうひと押しでマッチ・ポイント(チャンピオンシップポイント)奪取のところまで追い詰めながら、このゲームを落としたこと。
(この場面では、相手のクビトバ=チェコ=選手を讃えたい、利き手である左手の傷害から立ち直った彼女のプレーも奇跡的だった)
  結果、逆転のながれをつかんだクビトバ選手が勢いにのって、このセットを奪った。

 「なおみ」に、いつもの<泣きじゃくる>ような<身もだえる>ような、あどけない仕草のクセが出かけた…けれども懸命に堪え、自身を見つめなおしてフと<はにかむ>乙女になって見せた(これが成長のアカシ)。

 3つめは、第2セット終了後。
 勝負の第3セットの前に、「なおみ」はいったんトイレット・ブレークをとってコートを離れ…きっとオシッコではなく〝間〟をとりにいった。
 彼女は、この短い〝間〟で「きりかえ」ができたにちがいない。
 「きりかえ」は、21歳の彼女にとってなにより苦手なことだったが、それを乗り越える〝間〟がとれたことは、きっと本人にもビックリのジャンプアップ成長だった、と思う。

 コーチやスタッフが一丸となって選手をサポートするチームプレーは、「なおみ」にもクビトバにも、すばらしかった。
 あれこれ問題が噴出している昨今のスポーツ界、この態勢はとってもイイね、ステキだ。
 「チームなおみ」の勝利…ぼくも、そう思う。

 ふたたびコートにもどった「なおみ」には、余裕と成長の穏やかな笑みがあった。
 自身のショットにうなずく姿、「カモン」とみずからに引き寄せるガッツポーズにも外連味なく、たしかな成長をわが身内にゆるぎなく感じた、彼女に死角はなくなっていた。

  ……………

 ぼくは、かつて<お屋敷町>田園調布にあったテニスの殿堂、「田園コロシアム」時代から、日本のテニスが欧米に挑む姿を観てきた。
 
 神和住純や坂井利彰が、男子テニスの国別対抗戦「デイヴィス・カップ」で、懸命に先進欧米のテニスに喰らいつこうとする時代…。
 ぼく(たち皆…といっていいと思う)は、これほど早く〝ニッポンが世界一〟に手がとどこうとは、思ってもみなかった。
 (気がついたら、その神和住や坂井が初老になって解説の席にいる…)

 それから、女子に沢松和子や伊達公子が現れ…男子に松岡修造や錦織圭が現れても…ぼくの(勝負の神さまってのは〝焦らす〟のが好きだし、いじわるく〝見どころをつくりたがる〟からなぁ…)との、思いこみはつづいた。
 日本のテニスが世界の頂点に立つのは、まだまだ、さきのことだろう…と。

 それが、「なおみ」の登場で一気の「青天の霹靂」。
 ニッポン人はこのチャンスに、あらためて「混血の意味と高揚」を、あらてめて考えてみなけりゃいけない。
 
  ……………

 想えば、去年の秋。
 ぼくが、このブログに書いたことが、いまでは遥かむかしのことみたいじゃないか。
 参考までに、むすびに<再録>しておきたい。

「テニスの<大坂なおみ>が全米オープンでみごと優勝、日本選手初のグランドスラム制覇をはたしたとき。ぼくは、「これでニッポン人の血にもこれまでにないパワフルなものが加味されたな」と。ウレシイような、それでいて少しばかり面映ゆいような気分をあじわった。ところが世のなか、人々の反応は違って。「彼女は日本人か?」「日本人じゃない!」という、露骨に<違和感>を訴える<非難>めいて<差別的>な、なんの思慮分別もない不満の吐露にすぎないものだったのが、ただひたすらに情けなかった。ぼくは、日本の風土・文化を愛する日本人だが、この国の人と民俗のあまりに<狭くるしく独りよがりな了見>〝狭量〟というやつに、極く親しい身内の致命的な欠点をズバリ指摘されたような恥ずかしさを覚える。そうして、ぼく自身もまたじつは、そうした心情の根っこをひきずる者であることが、層倍して恥ずかしかった。なんとかせにゃいかん。」