どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼/ <報告記08>-名取市-閖上のこれから

-No.1950-
★2018年01月23日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2876日
★ オリンピックTOKYOまで →  548日
★旧暦12月18日、居待月(月齢17.4、月出19:26、月没08:17)











◆復興へ…閖上五差路の解消

 東日本大震災から1年後の、まだ寒い12年春3月。
 見知らぬ地、慣れない五差路の交差点を、ソロソロと渡った途端に、ぼくたちはコトバを失った。
 風景が…(ホラー映画さながらに)…ギロッと牙を剥いた気がした。

 それが、「閖上五差路」交差点。
 この歩道橋付き交差点が「生死を分けた」ともいわれ、現実にこの歩道橋が50人ほどの人命を津波から救い、いっぽう5m下の道路は避難車群で渋滞、多くの犠牲者をだした。

 ここを境に、東側一帯の閖上湊地区は壊滅状態の、1年後も瓦礫撤去の泥濘んだ世界のまま、他にはほとんど手がつけられない、ただ混乱の真っ只中のありさまに見えた。

 港に近い日和山津波の難をのがれた唯一の復興拠点の丘に立つと、どこまでも平坦な更地に還った野っ原が、人の営みの脆さ(自然の前にしては…)を曝け出していた。
 名取川の河口付近の堤防上では、仕事仲間の友を失った若い父親が、妻子とともに川に流れに向かって花束を投げる姿に衝撃をうけた。
 彼は、友の不意の死の理不尽、そのやり場のない怒りに頬の筋肉がひきつっていた……

 それから、<定点ウォッチ>地点のひとつになった<閖上日和山>。
 その出入口が、「閖上五差路」であった。

 名取市閖上地区の復興対策もまた、主力は、海岸防波堤の強化と海岸低地の嵩上げに置かれて、住民との間にさまざまな応酬を繰り返しながらも、押し進められ。
 嵩上げ地区に住居ができはじめた一昨年あたりから、復興が目に見えてきた。
 (やはり仙台近郊という立地条件がモノをいったのだろうか…)

 昨17年暮れに、この震災遺構といってもいい歩道橋が消えることになったのは、いうまでもない、周辺の土地区画事業(嵩上げ工事を含む)が進んだ結果で。
 この19年中には五差路が解消され、市道2本と緑道1本は立体交差の下を潜る避難路になる、という。
 (震災遺構といえば、日和山近くに遺った〝笹かまぼこ工場〟もとり壊された)

 港が復旧して、閖上朝市も再開。
 名取川河口には釣り人の姿も戻った。
 日和山からの視界にも、徐々に人の営みが復活しつつある。

 五差路歩道橋のすぐ西側、復興公営住宅群の一郭には、小・中あわせて100人以上の生徒が通う、閖上小中学校(前身の閖上小学校・中学校はともに津波被害をうけて廃校)の真新しい立派な建物が目にも眩しく。

 ちょうどこの日は、大きな視察団が来校する予定とかで、校内はちょっとした緊張ムードのなかにあった……
 (震災から復興、新築なった学校の多くが、いまはみな似たような状況におかれ、教職員にも児童たちにとってもたいせつな、元のあたりまえの日々への回帰にはほど遠い、どこか落ちつかない環境がつづいているようだ) 

 ……………

名取市の《11.3.11》被害状況】
 〇直接死者 912人
 〇間接死者  42人
    (計 954人)
 〇行方不明者 38人 

 〇全壊家屋 2,801棟
 〇半壊家屋 1,129棟

 ※人口の推移
 〇震災前 73,134人(2010年10月末現在)
 〇震災後 78,136人(2018年10月1日現在、推計)