どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.23~  冬の〝線香花火〟はお似合いか

-No.1949-
★2018年01月22日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2875日
★ オリンピックTOKYOまで →  549日
★旧暦12月17日、立待月(月齢16.4、月出18:13、月没07:29)










◆はやすぎた「散り菊」

 
 去年〔こぞ〕の春…
 いま思えば、年明けから、夫婦二人そろって身体に不調をきたした後。
 それが、ようやく快復軌道にのり、気もちにハリがもどってくると。
 なぜか「花火」が懐かしくなった。

 それもド~ンと派手な<打ち上げ>とか<仕掛け>とか、ましてや<スターマイン>みたいにショーアップされたものではなしに。
 子どもの「手遊び花火」、それも「線香花火」が無性に恋しくなって…
 初夏のある日、ぼくは思い立って浅草へ出かけた。

 隅田川沿いの、蔵前から浅草橋あたりにかけては、むかしから花火問屋や玩具花火を扱う店が多い。
 ぼくが欲しかったのは、子どものころに親しんだ「日本製の線香花火」。

 火を点けると、パチパチと花を咲かせながら芯のところに赤い火の玉をこしらえ、やがてその火の玉からふたたび清楚な火の花を咲かせはじめる…
 花火を長もちさせるためには、支え持つ手指が振れないように、吹く風からも避け守るようにして遊ぶ、どこか密やかな、繊細なあじわいのある線香花火だった。

 その線香花火が、日本の職人の手を離れ、中国製の色も派手な賑やか花火にとって代わられていったのは、ボクらが「子どもの遊び」というコトバを使うようになった頃からだった思う。
 いとこ(従弟・従妹)たちの遊びに付き合いながら、〝世代〟を感じていた。

 蔵前の、隅田川の花火大会にも参画する花火屋さんで「純国産線香花火」九州三池産と三河産の二品(いずれも1本50円、1本1円と安い外国製とは比べものにならない)、それと新工夫のこれも国産手遊び花火「墨火」を買い求め。
「ところで、あの〝ねずみ花火〟なんての、いまもありますかね」
 ふと思いついて、訊ねたら、店の人、心得顔にニッコリ。

「うちには置いてませんが、このさきの玩具花火屋さんにありますよ」
 どうやら遊び花火にも、いまは<棲み分け>ができているらしい。
 
 浅草橋まで足をのばして、「花車」と名付けられた中国製のそれも買い求めて、帰宅した。
 これでヨシ、準備はできた。

 ……………

 が、それから先の昨夏の〝猛暑〟というか〝酷暑〟、思いもよらないイタズラな気候変動騒ぎに、ぼくの「花火遊び」計画はもろくもケシ飛んだ。
 (覚えておいでだろうか…花火遊びをする気も失せるほどのアノ暑さを…)

 そうこうするうちに、恒例《11.3.11》被災地東北巡礼のときがきて、ひと夏が過ぎ、そのあと、こんどは一転、きゅうな秋風におどろき慌てての、もう後がない「花火遊び」になったワケだった。

 しかも、こんどはそうなると意地わるいめぐりあわせで、日中はさして気にもならなかった風が、日の暮れ時になると燐寸〔マッチ〕の火を吹き消すほどに吹く始末で、とても線香花火のできる状態ではなく。

 そうして2~3日、風の弱まるときを待っての末に敢行した、わが家の「線香花火」爺々婆々大会の、写真が上掲最下段の1枚。

 微妙な光線の具合でブレやすい花火撮影は、カメラを三脚に据えて撮るのが常識だ…けれども、ぼくはどうも体質的に三脚に頼るのを好まないので、いつものとおりのフリーハンド撮影。

 しかし…
 線香花火を持つかみさんの手は、思わず知らず「ジッとしてろよ!」叫びたくなるほどに揺れ、レンズの〝写程〟を外れるは、追いかけるカメラが視野にとらえる頃には花火が消えるは…のおお騒ぎ。

 その結果、やっとこれ1枚がモノになった程度の難行苦行の末だった。
 一段落して、ぼくもひさしぶりの線香花火、実地に遊んでみたけれど、それまでにスッカリくたびれてしまって、すでに興趣の外。

 せっかくの「純国産線香花火」も、「つぼみ」「牡丹」「松葉」「柳」「散り菊」と、その咲き方を愛でる暇もなく火の玉、あえなく風に落ちて。
 火薬の松煙(松葉を焼いた炭)香、わずかに嗅いだばかりで、あとには和紙包みのカワイイ切れ端しかのこらず……

 ぼくらガキの頃、ふしぎに逃げる奴のあとを追っかけてシュルシュル、ドキドキものだった「ねずみ花火」にしたって、いまの「花車」とやらは、ただただその場で火の玉クルクル回るばかり。

 なんのことはない、とどのつまりは新趣向の、むかしはたしか「電気花火」とか呼ばれた類いの花火が、吹き散らす火の粉にも勢いがあって、いちばんオモシロかった。

 ……………

 部屋にもどって、酒の盃かたむけつつ、ぼくはポツンと思った。
 むかしなつかしの「線香花火」を、いま愉しもうというからには、やはり(竹の縁台とか蚊やりとか風鈴とか…)それなりの演出小道具と、ふんいきづくりもかかせない。

 けれど、そこまでするのも、やれ面倒な想いもあって。
 そうか、いっそガラリと趣向をあらためて…

 このたび、手もとに遊びのこした「線香花火」は。
 この冬、雪でもちらちら降り敷いたなら、ひとつ「雪中線香花火」と洒落てみようか。
 いうまでもなく、こんどはカメラを三脚に据えて……