どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼/ <報告記05>-亘理町①-浜吉田駅

-No.1908-
★2018年12月12日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2834日
★ オリンピックTOKYOまで →  590日









◆流失を免れた浜吉田駅

 亘理町を最初に訪れたのは、2011年の夏8月。

 大津波から半年も経っていない、避難所運営もまだ落ち着かず、混乱と戸惑いとが交錯するなか。
 ぼくたち夫婦は、とるものもとりあえず、それでも親しい友には連絡をとり、彼らから委託されたものも含め、不足が予想される品々を持てるだけ持参しての訪問。

 しかし、混乱状態にある市役所の災害対策本部では、思いもよらない対応が待っていた。
 
 じつは、このとき、同じ伊達藩ゆかりの北海道伊達市から亘理町のイチゴ農家に、「こちらに移住生産しませんか」という誘いがあり、応じた数家族が海を渡っていた。

 そこで、この方たちをぜひ応援したい、と申し入れたのだが、「個人情報ですから」の一言で、その所在を知らせてもらえなかった。

 それはワカル でも いまはそんな場合じゃないでしょう…の切なる気もちも通じなかった。
 (その後、かぎりある個人の、ほとんど執念だけ、といってもいい調査で北海道伊達市郊外に移住生産農家の方たちの所在をつきとめ、応援のつきあいが始まった経緯は、このブログでお伝えしてきたとおり)

  ……………
 
 翌くる年の6月、再訪。
 すっかり潮水に浸かって、無慚な田畑の広がりに絶句。
 浜を目指す途中の踏切から、常磐線浜吉田駅が見えた。

 いまは「道の駅」が流行りだけれど、住民や集落の肌あい〝におい〟がいちばんに感じとれるのは、いまもステーション(鉄道駅)であることが多い。
 しかし、常磐線のこのあたり区間は、あのときから不通になっていて、人気がなかった。

 浜に近づくと、そこにはまだ潮水がのこって、草っ原の向こうにゴミの焼却プラントがあるばかり。
 吉田浜に出る道は塞がれていた。
 (下の写真がその当時の光景……)




  ……………

 このたび、ひさしぶりに訪れた吉田浜。
 あのとき常磐線浜吉田の駅は、津波がすぐそこまで押し寄せてきたけれども、流失をなんとか免れており。
 その駅務室には駅長さん、待合室には乗客の姿が見られた。

 JR常磐線は、南隣り山元町の線路が内陸側に移設されたために、少し距離が長くなり、しかし、ここから先 仙台方面へのレールは浜を離れていく。

 地元の乗客は減ったけれども、鉄道には日常がもどっていた。

◆お城に見える亘理駅

 常磐線は浜吉田の先、北隣りが亘理駅

 かつては浜街道の宿駅であり、亘理伊達氏の城下町でもあったなごりか。
 08年9月、亘理町立図書館と郷土資料展示室の入る駅舎できて、〝現代の城〟が現出。

 しかし、それから3年後の11(平成23)年3月11日 に、 東日本大震災が発生。
 このとき亘理町では震度6弱を記録、役場庁舎が使用不可能となり。
 (このたび訪れたときも、役場はプレハブ仮設のままだった…)
 
 さらに大津波により町の面積の47%が浸水、荒浜・大畑浜・吉田浜・長瀞浜など、沿岸の集落が壊滅的な被害を受けた。

亘理町の《11.3.11》被害]  
  〇被災前の人口 34,845人(2010年10月末現在)
  〇被災後の人口 33,090人(2018年10月1日現在)※推計

  〇直接死者 265人
  〇間接死者  18人
     (計 283人)
  〇行方不明者  4人

  〇全壊家屋 2,389棟
  〇半壊家屋 1,150棟
     (計 3,539棟)

  〇産業被害総額 3,353億円超