どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018さんりく巡礼/ <報告記03>-山元町①-旧中浜小学校

-No.1901-
★2018年12月05日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2827日
★ オリンピックTOKYOまで →  597日



















◆無慚に剥がれた教室の床板

 東日本大震災からまだ間もない頃、国道6号(陸前浜街道)を北へと走ったとき、さえぎるものなく渺茫と……もっとはっきり言えばのっぺりと、山元町の人家なき、荒れ果てた田園がつづくのに呆れたことを、いまも忘れない。

 《11.3.11》の大津波、その黒い巨大なアメーバのごとき海波が、ジワジワと海岸平野を侵食していくさまに、ゾクゾクッと魂が震えた記憶も、いまだにあたらしい。

 それは、三陸リアス海岸に押し寄せ、川を遡って猛々しく逆巻いた津波とは対極の、むしろ気もち折れ、こころ腐来〔くた〕す類いの恐怖感であった。

 津波常磐線を乗り越え、もっと西側を走る国道6号でようやく喰いとめられていた。
 
 そんな光景が、また……
 JR常磐線よりもさらに東側、平坦な野面〔のづら〕が広がる海沿いの県道38号(相馬亘理線)を行くと、ひさしぶりに目の前に展開し。
 まもなく、無人の田園に、ポツンと校舎があらわれる。

 震災遺構として保存されることがきまっている、山本町立の旧中浜小学校だった。
 いまは海側の眺望が防波堤に遮られているものの、その校庭に立つと(どうしてここに学校が…)自然とそんな想念がわいてくる。
 おそらく生徒や保護者たち、学校関係者も地域の人たちも、皆がそろって、津波後にはそう思ったにチガイない。

 外構はがっちりのこった校舎を見ると、2階天井まで浸水したことが知れる…が。
 さきにお知らせしておこう、あのとき、屋上に避難した児童・職員あわせて90人は全員、無事だった。

 ただ、あらためて海と校舎の位置関係を見ると。
 東の海岸線を左手に、校舎は南面するかたちで建っており。
 津波はほぼその縦方向に、ガラスを破り、内陸側へと突き抜けたのがよくわかる。
 あらためて知る津波の威力、おそるべし!
 
 建物には金網が巡らされてはいるが中は覗けて、1階は天井から照明器具が垂れ下がり、机が横倒しになっているなど、そのときの様子が窺い知れる。
 床板の剥がれた痕を見ると市松組みのフローリングだったらしい…ほか、教育現場にそそがれる配慮がそここに見られた。
 
 山元町では、震災遺構の保存に賛成の住民が多いと聞く。
 それは、この建物が人命を失ってはいないからだろう、気がする。
 そのいっぽうで、保存に慎重な意見は、維持管理費の負担を心配しており、これは沿岸部がかかえる震災遺構のすべてに共通する事情を物語る。
 どこの市町村にしても、震災で人口が減り、しかも高齢化の進む将来は楽観できないからだった。

 隣接地には、慰霊「千年塔」の旗飾り、海からの風に、いまにも千切れそうにはためいていた。
 
 (なお、この旧中浜小学校校舎の今後は、来年2019年度に改修工事をおえ、再来年2020年度の公開が予定されている)