どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.11~  カキノキ[其の壱]

-No.1886-
★2018年11月20日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2812日
★ オリンピックTOKYOまで →  612日





★柿くへば…鐘が鳴る★

 ぼくのパートナー(かみさん)が、柿の皮をむき(柿は皮のそばに甘みがつよいから薄くむくのデス)ながら、きまって言う。
 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」(正岡子規)の句の意味するところ、その佳さ。
 修学旅行で奈良に行ったときに初めてワカッタわよ、と。

 かみさんは北の国(北海道)でとれた。
 北東北からさき北海道にかけての辺りでは、ごくわずかな渋柿(甘柿はもっぱら暖地に産するのデス)をのぞいて柿の木(〝柿〟というのは実のことで植物名は〝カキノキ〟なのデス)を見ない。
 これは、きっと、いまも、かわらないのではないか。温暖化が進んでから後のことはワカラナイけれど。
 (いっぽう柿は暖地性といっても、沖縄県での栽培・出荷もない)
 
 ぼくは柿が好き、こよなく愛することは、10月12日の記事でもおわかりのとおり。
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 なぜ、どうして、そうなのかは、知らないが。ひとつだけ思いあたるのは……

 ガキの頃、近所にヤカマシイ爺さまがいて、その家の庭から外の道へと柿が枝を伸ばしていた。
 ふだんは目もくれないその柿が、色づき熟してくるとガゼンこれみよがしに「おいで、おいで」をする、そうとしか思えない。
 この誘惑には勝てない。竹の棒の切れっ端かなんか拾ってきて、いざ落とそうとするところを、爺さまに見つかり、衿っ首をつかまれてこっぴどく叱られる。
 …が、ゴメンナサイすれば、柿の実はけっきょくガキの手に入る、のであった。

 まちがいなく、あのドキドキ感に、ぼくはいまもシビレテている。

 同じまだガキの時分に、風邪をひいたら誰だったか、「柿はからだを冷やすからイケナイ」と食べさせてもらえなかったことがあり、(バカをいうな…)とぼくは思ったのも、よく覚えている。

 そんなわけはないことを、ぼくは身をもって知っていたし。
 諺に「柿が赤くなると医者が青くなる」(因みにヨーロッパでは主役がトマトになるのデス)ともいうとおり。
 それが俗説にすぎないことは、すでに明らかで。
 ま、いまでいうフェイクニュース俗説版か……

 そんな想いを追いつつ、おやつに柿を、しみじみ味わっていたら、「信州で市田柿づくりが始まった」とのニュ-スに、ぼくはアッ…と思う。

 柿くう季節になれば、干し柿づくりも始まる…道理だけれど、ぼくが息をのむ想いに駆られたのは(冬近し)、そのことであった。

 ぼくは干し柿も、いうまでもなく好きだ。
 が、ビタミンCの不足しがちな冬、その甘みはこよない、にもかかわらずざんねん、干した柿にはビタミンCが期待できない。

 干し柿にするのは、渋柿だから。
 干すのも「渋を抜く」方法のひとつ。

 さっきは「盗み柿」の甘さにシビレた話しだったけれども、ぼくは、そんなこととは知らずに齧〔かぶ〕りついた渋柿の、それこそ開いた口がふさがらない強烈な「えぐい」苦味にもシビレた覚えがあって。
 なんで渋柿なんかつくるのか、子ども心に、その気が知れなかったものだったが。

 じつは、柿は<渋柿>が<本家>で<甘柿>は突然変異でできた<分家>みたいなもの、と知ったいまは、もう恨みっこなし。

 ただ、これも子ども心に、おっ母さんが渋柿を米櫃に埋めたり、焼酎を蔕〔へた〕の付け根に塗りつけていたのを想い出し。
 また、長じてからは、ぼくもみずから干し柿にして2つ3つ軒端に吊るしたこともあったり……で、帰結した結論は「干し柿や渋抜き柿づくりは、プロにおまかせしよう」であった。

 ましてや秋深い旅先で、柿農家の軒下に簾〔すだれ〕のごとくミゴトな干し柿風景など見てしまっては、まさに、この感きわまる、ほかにない。