どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.10~ 北軽井沢…サヨナラぼくたちの土地

-No.1883-
★2018年11月17日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2809日
★ オリンピックTOKYOまで →  615日














★夢を買う…~No.9~北軽井沢の旅のつづき★

「夢を…買わないか」
 仕事でつきあいのあったデザイン会社の社長から声をかけられ。
「えっ!?」
 ぼくは不覚にもドギマギうろたえた。

 彼は、別荘地のオーナーにならないか、というのであった。
 そのとき、ぼくがどう応えたか、覚えていない…が。
 想いは遠くへ飛んでいた、記憶がある。

 ぼくは敗戦後すぐ、まだ食糧事情のわるいさなかに生まれた。
 父は、おかげさまで一流会社のサラリーマンだったけれど、寮での暮らしはラクではなく。
 食卓によく登場するのは、「おじや」や「すいとん」、生きていくのにカツカツのものだった。

 近所に、飢えてグズグズ泣く子を見て育ち。
 うちはまだマシ…と思っていたら、ある日、どこかの小母さんがなにやら干からびたものを届けてくれ。
 感謝の腰を折るようにした母が、その日の夕食に、目に鮮やかな緑色の具が入った鍋をこしらえてくれて。
 これが「いもがら」だと、教えられ……

 ぼくは、そのとき不意に、コレさえ口にすることができなくなったときが「飢える」ということなのだ、と悟ってしまい。
 飢えるのはごめんだ、飢えたくはない、と懸命に思った。

 そのせいか。
 ぼくは、自分の家が持てるとは夢にも思わず、ましてや車や土地なんかが持てるようになるとは、考えもしなかった。

 それが、ぼくが育ち盛りの復興期に、うちはいつのまにか〝中流家庭〟と呼ばれる存在になっており。
 父母は、寮から市営住宅を経て、土地を買って家を建て、ぼくはその後を継ぐことになり。
 気がつけば、結婚もし、車まで転がしていた……

 そうして
 冒頭の「夢を買う」話しになる。
 「北軽井沢に別荘地として将来有望な土地がある」というのだった。

 そのデザイン会社の社長はスポーツマンで、冬はスキー・ツアーまで企画した。
 この話しは、そんな縁からヒョイと生まれてきたものらしい。
 社長みずからがまず買いもとめて、ごくかぎられた範囲にもちかける気になった、という。

 「どんなところか、見せてもらえばいい」
 誘われるままに出かけたら、思いのほかにヨサそうなところだった。
 ときは1970年代後半、ぼくたちは20代後半。

 86(昭和61)年12月~91(平成3)年2月の「バブル景気」より10年ほど前のことだったけれども、経済は右肩上がりの復興後期。
 「ぼくには縁のない話し」とかなんとか言いながら、ちゃっかり波に乗っていたのかも知れない。

 その頃、いずれ軽井沢を追い越すかも知れないと噂された、北軽井沢。
 雑木林の、右には浅間の噴煙を眺め、隣りの牧草地との間には小川が流れる、200坪。
 「いずれは、ささやかな別荘か、ペンションにするなんてのもありか」

 いい気な短絡思考をさせるふんいきが、「夢を買う」気にさせたし。
 地目「原野」の値も安く、分割払いにしてもらえば、共働きのぼくらにも手が届いた。

 ……………

 ともあれ
 こうして手に入れた「夢の土地」は、とどのつまり「夢のままの土地」になった。

 それからウン十年の歳月を経る間には、さまざまな紆余曲折があり、時の世の波も、吾らが人生の波もあって、気がつけば「片づいて生きる」歳になっていた。

 夢に「ありがとう」を言って、跡継ぎのない身の〝整理旅〟に出た、という次第。

 ……………

 北軽井沢は かわらない 浅間山麓の自然のなかだった。
 かつてあった「いずれ軽井沢を追い越すかも知れない」との噂は…ついにウワサのままか。
 ぼくたちの土地の周辺にも見られた別荘群の、多くがいまは、持ち主が老いたからだろう、空き家も同然になっており。

 ぼくたちの土地を、どうすれば手ばなせるのか? も、わからない。

 ルーレットに球を転がす心境で、電話番号簿から見つけた不動産屋さんを訪ねたら、そこにラッキーな出会いが待っていてくれた。
 ぼくらにも まだ ツキがある。

 いや。
 実際は、こちらの事情をうちあけて、「よしなに」お願いして帰ってきただけだから、まだなんともカイケツの道すじはついていないのだけれども……

 北軽井沢には「SweetGrass」という、ちょと名の知られたグリーンステージのキャンプ場がある。
 ぼくらが逢ったのは、そこを事業経営の母胎にする「きたもっく」の代表、福嶋誠さん。
 その肩書のひとつに、不動産取引免許が含まれているにすぎない。
 有限会社きたもっく

 ……………

 彼は、「ルオム(フィンランド語で、自然に従う生き方)」の理念をバックボーンに、浅間山麓北軽井沢高原に、次代をになう若者たちと「The future is in nature」のさまざまな活動と事業を展開。

 彼の〝生き方〟というか、そのレゾンデートルは著書『未来は自然の中にある』(上毛新聞社出版部刊、1800円)に充ち溢れている。
 そうしてそれは、ぼくの〝世界観〟とも親しい。
   
 ……………

 ぼくらの土地が、どうなるか あるいは ならないか。
 それを別にしても、また逢うことになるだろう気がしている。
 したがって、このブログでもまた、お話しするチャンスが巡って来ることになるにちがいない。