どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記22>-川俣町-山木屋のこと

-No.1882-
★2018年11月16日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2808日
★ オリンピックTOKYOまで →  616日






◆幻になった取材拠点

 福島県川俣町は、双葉郡でも相馬郡でもなく、伊達郡に属する。
 隣接自治体を見ると、西隣りの福島市から反時計まわりに、二本松市浪江町飯舘村そして伊達市

 つまり〝中通り〟の町というより、〝中通り〟の福島市二本松市から〝浜通り〟へと越え行く途中<阿武隈高地の町>といったほうがあてはまる。

 東日本大震災があって、福島第一原発が爆発事故をおこした、あのとき。
 福島へ、〝浜通り〟へのアプローチを模索したぼくは、規制がキツく(厳重に)なりそうな海沿いのルートを避け、東北自動車道経由〝中通り〟から海を目指す道に目をつけた。
 
 ぼくは、アウト・ドア派だ。
 宿探しに苦労するくらいなら…と考えた、いっそキャンプ場を拠点にすればよかろう。

 手もとにあった「日本オートキャンプ協会」の冊子を見たら、「山木屋ジョイフルオートキャンプ場」というのがあった。
 所在は、川俣町はずれの山木屋地区。沿岸部へのアプローチにも都合がいい。

 しかし……
 とびつく思いでかけた電話に、応答はなく、何度かけなおしても発信音が虚しく響くばかり。

 これは……
 事態は、ぼくの予測を覆〔くつがえ〕して進んでいたからだった。

 日本の天候の変化は きほん 西から東へと移ろっていく。
 風(空気の動き)もまたおなじく、おおむね南西から北東へと移ろう。
 したがって、爆発した原子炉から放出された放射能の多くは、北東へ飛散するものと、ぼくは思っていたのだ。

 ……が、このとき、放射能をのせた風向きは西へとズれ、飯舘村から川俣町方面へと流れてきており。
 「山木屋ジョイフルオートキャンプ場」はすでに閉鎖になっていた。
 キャンプ場の取材拠点は〝幻〟となって消えた。

 それから、あらためた方針をたてなおして臨み、いまにいたる《11.3.11》被災地巡礼の旅では、一転、川俣町はアプローチとそしてリターンとの、いずれも<通りすがりの町>にならざるをえないことになった。

 町は古くから知られる「絹の里」といっても、いまどきの旅人にとっては、休憩に立ち寄る道の駅「かわまた」の、「シルクピア」に昔を偲ぶしかない。

 因縁の山木屋地区(2011年4月1日時点で、501世帯1,246人)は、「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」に指定され。
 17年春に「避難指示」が解除になるまでは、いたるところに「除染中」の幟がはためき、田畑にはその除染土入り黒のフレコンバッグが積み並べられる殺風景だった。

 もうしわけない、そんなわけで。
 8年目にして、はじめて意識して訪れた、川俣町。

 山木屋地区には、復興拠点商業施設「とんやの郷〔さと〕」ができ。

 道をはさんで向かいには、厳冬の田んぼに水を張り凍らせて造る、天然の青空スケートリンクが山間地らしい風景を見せていた。

 ここ川俣町の場合も、もとよりすでに人口減に悩まされてきており、このたびの原発爆発騒ぎがそれに輪をかけた…ことになるのであった。

 ……………

 川俣町の、被害のほどを見ておこう。
  〇建物の全壊 28世帯(82人)
  〇 〃 半壊 30世帯(93人)
  〇震災関連死 29人

◆山木屋の小学生5人・中学生10人

 震災前の山木屋地区(川俣町全体ではない)には、小学校が分校もあわせて3つ、中学校が1つだったけれども。
 「避難指示」解除後は、新しくできた合同校舎に、小・中学校がまとめられていた。

 ぼくは、ここでも中学校の教頭先生にお逢いして、持参の資料キットをさしあげ、「2020東京オリンピックの聖火をバイオメタンで燃やそう!」プロジェクトへの協力を、お願いした。
 ちなみに、そのとき伺った生徒数は、小学校が5人(すべて6年生)、中学生が10人。

 とくに小学校の6年生が5人しかいない、という現実はキビシイ。
 来春の入学予定者ゼロの可能性が高く、再開1年で休校か? の判断を迫られることになるからだ。

 ……………

 そうして
 それは けして ここだけの問題でもない。

 「避難指示」解除後の9市町村(広野・楢葉・富岡・浪江・南相馬・川内・葛尾・飯舘・川俣)。
 再開された小・中学校の児童生徒数は、爆発事故前のわずか9%にとどまっている。

 小規模校の特徴を挙げれば。
 利点は、教員の丁寧な指導が可能で、どの子も基本を身につけやすいこと。
 反面、不利な点は、人の意見を聞いたり議論したり、といった経験ができにくい。

 それ以上に困難な課題は、被災地校に赴任する教員の減少だろう。
 これには、住宅の確保がむずかしいために、遠距離通勤にならざるをえない事情もからむ。

 以上は、いずれも、かつて〝僻地校〟で話題になった課題とおなじダ……