どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.7~ カッコ―<托卵>の真実

-No.1876-
★2018年11月10日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2802日
★ オリンピックTOKYOまで →  622日





★カッコーは高原の鳥★

 樹林も暗いほどには繁っていない、陽ざしの明かるい斜面に似合う。
 緩やかに登る山の道を歩いていて、この鳥が鳴くと、しばしホッと休息の合図だ。
 あまり見かけない姿より、だんぜん声の鳥だ。

 「カッコー」の名も、まさにその(オスの)鳴き声に由来する。
 外国での命名にも、鳴き声に由来するものが多いそうな。

 いっぽうでカッコーには、(人には)奇妙に思える「托卵」という繁殖行動が知られている。
 「托卵」による繁殖は、自前の巣を営まず、ほかの鳥の巣に、巣の持ち主の留守をねらって己が卵を産みつけ、巣の持ち主の親鳥に、代りに子育てさせてしまおうという、じつにムシのいい行動である。

 それも「おねがします」と礼をつくして頼むのではない、親仔そろって、相手を騙して育てさせよう魂胆だ。

 身勝手な「托卵」には、とうぜん巧妙な作戦がともなう。
 ちゃっかり子育てを代わってもらうため、カッコーは己が産む卵の色や模様を、巣の持ち主鳥が産む卵に似せ。
 卵の数あわせをするためには、<育ての親>鳥の卵を捨て落として減らしたり、食べてしまったりもする。

 ぼくは、この「托卵」、カッコーのわがまま放題、手前勝手な行動だとばかり思っていたから。
 (どうも根性曲りでよくないなぁ……声はいいのに……)
 姿を見なければ、いっそ、そのほうがいいのかも知れない、と考えていた。

 ところが、それは「とんでもない誤解だ」という、研究結果だそうな。
 遺伝的に、カッコーはもはや、自らは巣を営むことのできない境遇になっているのだといわれ。それはどうやら、この鳥の体温変動が大きすぎること(卵を温めるのに不向き)と関係があるらしい。

 ちなみに、カッコーが托卵の対象にするのは、オオヨシキリホオジロ、モズ、オナガ、ジョービタキなど。

 カッコーのヒナは、巣の持ち主の鳥のヒナより早く、卵から孵化・誕生するようになっており、そこで、後から生まれてくる巣の持ち主鳥のヒナを放り捨てたり、食べてしまったり…で、自分だけを育てさせるように仕向けるのだという。
 これを専門用語では「片利片害共進化」というらしい。

 が…もちろん、そう上手くいくことばかりではない。
 托卵が遅れて企みが逆目にでることもあるそうな。
 とうぜん、カッコー同士の間にだって縄張り争いが存在する。

 それは肉食動物が、かならずしも食餌獲得に有利なわけではない、ことからも知れるわけだった。 

 たとえばヨシキリは、カッコーの卵を偽ものと見やぶって排除することがあるというし。自分の卵にはヒミツのサインを仕掛けたりもするとやら。

 そりゃそうだろう、そもそもが、カッコーとヨシキリじゃ、体の大きさが(8倍も)違いすぎる。
 どだい無理があるのを、なんとか押しとおしてきたカッコーなのだった……

 

 
  

 世の中にはワカラナイことがあるもので、客商売が流行らないときなどに言う「閑古鳥が鳴く」の、「カンコ鳥」は「カッコー鳥」からきたものだそうな。
 思わず(うむぅ)と唸ってしまいたくなるところ、だが…待てよ、晴天の似合うカッコーが黄昏時にでも鳴けば、たしかに(もの淋しい)風情かも知れないのだった。

 もうひとつ。
 有名なドイツ、シュヴァルツヴァルトの「鳩時計」、あれも、もともとは「カッコー」の声を模したものだ、と。これは、ぼくもそのとおりと認めますね。だって、あの時を告げる鳴き声は「鳩」じゃない、カッコーですもん。

 カッコーは、夏の渡り鳥。
 そういえば、春さきにカッコーの練習鳴きというのを聞いたことがない。

 …というのは
 日本では留鳥のウグイスは、春さきに野山を歩くと、まだ若い鳥たちが懸命に「鳴き声」のレッスンをする場面に遭遇するからだ。
 「ホ~ホケキョ」とスムースにはまだいかずに、「ホ~ッ、ホッ…ケキョ…ケ…」なんぞと微笑ましい。

 そこへいくとカッコーは、夏空に初めっから冴えた鳴き声を響かせる。
 
 十勝の「小豆づくり名人」と呼ばれる人が言っていた。
「小豆はカッコウが鳴いたら植える」
 もういいぞ…と、聞こえるんだそうな。