どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記19>-相馬市③-松川浦……曙光……

-No.1875-
★2018年11月09日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2801日
★ オリンピックTOKYOまで →  623日





















◆鵜の尾崎

 前回(11月7日、相馬市②)でもお話したとおり、松川浦あたり一帯の復興は、姿も美しい斜張橋の松川浦大橋ぬきには語れない。
 浦は、太平洋との出入り口が北端に近い原釜にあるので、南からは大洲海岸の道をしばらく走らなければならない。

 ここには、昔は板橋が架かり、それが壊れたときには渡し船で繋がれていたという。
 その頃の松川浦の風景も風情があったろうと思われるのだが、大橋ができて「白砂青松100景」と「渚100選」にも選ばれた大洲海岸が観光スポットにくわわると、もう、なくてはならないものだった。
 
 《11.3.11》の大津波による松川浦地区の被害は甚大だったが、その修復にも、壊れずにのこった大橋の果たした役割は大きなものだった。
 ほぼ壊滅した大洲海岸道路の復旧は、北と南、両方から同時に工事ができてスムースに進捗したのだ。

 それでも、6年の月日がかかった……
 その間、ぼくは原釜港側の大橋入口では警備員の赤旗に阻止されつづけ、南側、大洲海岸からの道は長いこと泥濘との悪戦苦闘に悩まされつづけた。

 それほどに開通を待ち望んだ橋が、ようやくに望みかなって渡ってみれば、気もちのいい潮風ドライブほんのひと走り。ぼくは憮然たる想いやりきれなくて…もういちど渡り直してみようかと思ったくらいだ。

 新しくなった松川浦新漁港を左横目に、ひとつトンネルを潜れば、もう大洲海岸。
 トンネルの上あたりが鵜の尾崎の灯台が建つ小ぶりな丘陵になっており、灯台へと上がる石段の途中には夕顔観音の社〔やしろ〕がある。

 鵜の尾崎から、潮風の眺めは、左手に松川浦新漁港の船溜まり、右手には延々とうちつづく大洲海岸の砂浜といまは痩せ細った砂丘、そのさらに右手一帯が松川浦の、のたりと広がる潟湖風景だった。
 津波の後、泥濘の道を苦労して訪れた浜には、松が幾株かはのこっていたのだけれど…いまはコンクリートの防波堤が遠くまで伸びるばかりで、一本の松ものこされてはいない。
 これから先、何年かをかけて植え直されていくのであろう……

 大洲海岸の南の外れには、みやげ用に海産物を商う施設ができており。
 以前のカタチをとどめて記憶にのこっているのは、水門くらいのもの。
 あとは、思いのほか早くに復旧した水田の緑と淡い水色ばかり。

 ぼくの脳裡には ぼんやりとながら これで松川浦は〝復旧〟なった…感があった。
 それにしても、この間の長かった歳月を想うにつけ。
 潟湖の静まる汀に車を停めた ぼくは瞑目して しばらくは 意外なほどの疲労感の深さにジッと身をまかせていた……