どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記18>-相馬市②-松川浦と原釜尾浜海水浴場

-No.1873-
★2018年11月07日(水曜日)
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◆松川浦大橋と大洲海岸道路の全開通

 《11.3.11》があって後の巡礼旅。
 ぼくたちが初めて福島県に入ったのは11年8月早々。

 外海に面した原釜漁港。
 吹く風の冷たい岸壁は瓦礫の散乱するままになっており、船底を晒して打ち上げられた漁船もまた手つかずに放置されたまま、内海(潟湖)松川浦の惨状もまた同じく……

 あまりの寒々とした光景になす術もなく、メモをとる余裕すら失ったぼくは、
「ここは漁港なんですが…ありません、なんにも手がかりがありません…こんなことってあるんでしょうか…」
 ボイス・レコーダーに声をふりしぼることしかできなかったのを、忘れない。

 それからは、この原釜漁港岸壁から望む松川浦大橋の景が、ぼくの《11.3.11》定点観察ポイントのひとつになっていた。

 この一帯に「ようやく復興の兆しか」に見えたのは、松川浦大橋の開通にほかならない。
 もともと橋そのものは津波に耐えて損傷も少なく、ただ橋を通して連絡する大洲海岸道路の方に甚大な被害があったための「通行止め」であった。

 あれから6年の歳月がながれて昨17年春、「松川浦大橋開通」の報せは朗報だった…が。
 現実は、松川浦出入り口の橋を渡れただけ。
 対岸、松川浦新港の復興はたしかにメデタイことだったけれど、その先の大洲海岸道路の改修復興が成らないことには、心底からの歓声は上がらない。

 その難渋した大洲海岸道路が新生の表情を見せた、もじどおりの「松川浦大橋」開通は、ことし18年春。

◆松川浦の名産「青のり」

 期待に胸はずませ、ぼくはまず、内海の松川浦漁港を訪ねた。

 松川浦の名産に「青のり」がある。
 浦の水景に情緒をあたえている竹杭の林立、これに海苔網を張り渡すと「のり棚」になる。

 内海の穏やかな潮は海苔養殖によく、ここの「青のり」は震災前、生海苔・加工海苔あわせて200トン以上を出荷する東日本有数の産地だった。

 原発事故があって、「常磐もの」といえば「上もの」とされた地域の漁は壊滅。
 風評被害にも悩まされつづけるなか、「青のり」漁はジッと我慢をつづけて、17年11月セシウム濃度が検出限界値を超えることがなくなってから、7年ぶりの漁の再開にふみきった。
 
 現在、海苔生産者は相馬双葉漁協の約70軒。
 最盛期の10分の1の「のり棚」での再スタートだった。
 漁期は2月上旬から4月末。したがって漁閑期の、漁師たちの姿は寄合所に数名が見られたのみだったけれども、「まぁまぁ、よかったんでねぇか」の笑顔がなにより。

 地元の観光旅館では、きっと、天婦羅や味噌汁の具にして訪客をもてなしたにちがいない。
 無言の握手で漁師さんたちと別れて、ぼくは近くの鮮魚店で「佃煮」と「干し海苔」をみやげに買いこんだ。
 (地元漁協では沖漁の復活もつづいて、この6月にはスズキ漁も再開。これで出荷制限されていた〝主要〟魚種すべてが揃ったことになり、あとのこるは7魚種のみ)

◆原釜尾浜海水浴場

 ことし、福島県を取材してまわったのは、7月の中頃。
 松川浦から近い原釜尾浜海水浴場は、21日の「海開き」を前にほぼ準備も了え、6軒の海の家が閑かに燃える夏本番を待っていた。

 あれほどの被害に遭って荒れ放題だった浜が、なんとか復旧、かつては毎年3~5万人が訪れていた海水浴場の、じつに8年ぶりに迎える海開きだった。
 (同じ日に、宮城県では石巻市渡波〔わたのは〕海水浴場がやはり海開きの日を迎えた)

 砂浜の中央辺りには、遊泳監視塔。
 これはアノとき、攫われ尽した浜に、やや傾きながらもただひとつのこされた建物。
 あれから毎年、ずっと訪れつづけてきたボクたちにとっては、ぶじ快復退院した旧知の笑顔を見るように思える。
 震災遺構もいいけれど、こうした「どっこい生きてる」存在にも、もっとスポット・ライトがあたっていい。

 浜のはずれには『相馬市伝承鎮魂祈念館』ができ、背後の園地に建つ「相馬市東日本大震災慰霊碑」にはこの地区の犠牲者207人の名が刻まれ、6月には天皇・皇后両陛下が訪れ献花されている。

 ……………

 なお、ちなみに、相馬市全体の東日本大震災津波被害をまとめておくと。
  〇直接死 439人
  〇関連死  28人
  〇  計 486人(死亡届の19人を含む)

  〇全壊家屋 1,004棟(1,104世帯)
  〇半壊家屋   833棟(  968世帯)