どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記15>-南相馬市③-小高区沿岸部

-No.1866-
★2018年10月31日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2792日
★ オリンピックTOKYOまで →  632日







◆壊滅した田園

 南相馬市、小高区。

 国道6号の東の海側…もとは平らかな、見渡すかぎり緑の田園地帯は、《11.3.11》の大津波後、茫漠とした荒れ野になった。

 かつては一面の緑の向こうには海が見えて、陽ざしのつよい季節には霞みがかかったものだったが、いまは防潮堤に遮られて海も波も見えなくなった。

 ……………

 津波のとどかない山側の住民たちが、海辺に立地する原発爆発のせいで、目には見えない放射能汚染に苦しむのも酷な話しだ…が。
 大津波に緑野を浚われ尽したうえに原発爆発の重なった海側の住民のやりきれなさは、それこそ〝茫然自失〟しかなかった。

 原発の爆発事故の直後、「警戒区域」に指定された沿岸部は、16年夏に解除されるまで人は住むことができなかった。

 ぼくも一度、地元の方の自家用車に同乗させてもらって荒れ野を走ったことがあるけれど、10数戸の家が流された痕には、ほんの数えるほどの家屋しか見られず、「あそこにも…あった…」はずの家がなくなった風景の眺めは、ただひたすらの〝寂寥〟感であった。
 
 震災後、やむなく避難先に、ひとまず癒しをもとめた人たちがあるいっぽう、どうしても古里を離れられない人たちもあった。
 そういう人たちが〝茫然自失〟からのがれる道は、「なにかをして身のまわりをとりもどしていく」ほかなかった。

 そんなうごきのひとつが、「なによりもまず住民たちが集える場所をつくろう」だった。
 現在は建物の新築が制限されている地区の、かつて民家があった約200坪の(震災後は市が買いあげた)宅地に、許可をえて花壇を整備、東屋やベンチを整備した。
 名付けて「花見ふれあい広場」。

 この取り組みのリーダー佐藤宏光(63)さんは、市民団体「おだか千本桜プロジェクト」の会長さんでもある。古里にかつてのコミュニティーをとりもどすのに、必要なのは「人が集まれること と 身体を動かせること」。
 この新たな活動でも、植樹する桜は開花の早い「河津桜」がメインだ。

 「花見ふれあい広場」に立って辺りを見まわすと、夏にもかかわらず、吹く風がこころなしか薄寒いようだった。あれから7年がすぎても、小高に帰還した人は20数%と少ない。

 ぼくは、まだ、佐藤さんにお逢いするチャンスがない、のだけれど。
「このまま時がすぎて ここにかつて住む人があり 気もちのふれあう暮らしがあったことを 忘れられてしまうのが いちばんこわい」
 佐藤さんたちの想いは、痛いほど胸に沁みる。