どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ちょっとヒトコト…フタコト…ミコト ~No.3~  「炙り」に極まる〝旨さ〟

-No.1865-
★2018年10月30日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2791日
★ オリンピックTOKYOまで →  633日






★ゆっくり「炙り」こんきよく「焙る」★

 9月のはじめ、旅先の釜石の割烹で「炙りサンマの刺身」を食べた。
 こよなく旨かった。

 「押鮨」の名品に「さば鮨」の系譜…「棒鮨」とか「ばってら」とかいうのがある。
 それにも、近ごろは「炙り」が加わって、一段と味わいが映えるようになった。
 「炙る」ことで「脂のぬける」佳さを、さまざま味わい尽してきた舌が、ことのほかよろこぶようだ。

 ぼくは、「金目鯛炙り寿司」という駅弁(小田原、東華軒)というのも気に入っている。

 ほかにも、炙りサーモン・ハラスあり、また皮の美味しく食べられるものは串に巻きつけて炙ったりもする。

 「炙る」と「焼く」との違いは、火のあてかたによる。
 焦げ目をつけない程度に軽く「焼く」のを「炙る」という。

 ぼくの子どもの頃、最初にやらされた台所の手伝いが「海苔をあぶってね」。
 母親にしてみれば、「ほかはまだ無理、これくらいなら」ということだったろう、けれども。
 海苔を焦がさぬように上手く「炙る」のは、いくら直火〔じかび〕ではない網焼きとはいえ、子どもには至難の技。

 いうまでもなく当時は、<あたり>のやわらかい炭火だったわけだが、それでも焼けて焦げる。
 いまのガスコンロの火だったら燃やしてしまっていたかも知れない。

 ……………
 
 「あぶる」には、温めたり、乾かしたりする行為もふくまれた。

 たとえば、ごく品のいい年寄り、媼〔おうな〕と翁〔おきな〕といった風情の二人が、火鉢をはさんで向かい合った図なんぞは、子ども心にもうるわしいものだった。
 媼(婆さま)が火に炭をつぎ、翁(爺さま)が湯呑を片手に<かざす>ようにして手を炙る……

 ところが、手が悴〔かじか〕むまで外で遊びまわったあとの子どもに、こんなゆるりとした芸当なんかとんでもない。

 火傷しそうになるほど火に手を突っこんでくるのだから、
「まぁまぁ…」
「おやおや…」
 どうにもならないのであった。

 ……………

 また、「焙煎」になると「焙り」に「煎る」気味が増す。
 いまどき、「焙煎」といえばコーヒー専門のようだ、けれど。
 お茶(緑茶も紅茶も)だって、「焙煎」して(湿気をとばして)旨味をひきだす。
 香りを嗅いで味わう「焙じ茶」というのがあるが、これなど「焙煎」の最たるものかも知れない。

 ……………
 
 刑罰だと、極刑に「火炙りの刑」というのがあった。
 (いまも、この世のどこぞにはのこっているものだろうか、知らん…)
 古代から近世まで、世界各地で行われていたもので、「焙り殺す」という行為は野蛮きわまりないようだが、これには多分に呪術の気味が濃いようだ。

 人を殺しながら、あわせてその罪咎〔つみとが〕そのものも、火で焼き滅ぼそうというのだろう。

 それにしても、あくまでも「火炙り」というのがじつに呪〔まじな〕い染みている。
 実態は「串焼き」の刑であるのに、けっして、そうは呼ばない。