どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記12>-浪江町⑤-まだ遠い道のり

-No.1857-
★2018年10月22日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2783日
★ オリンピックTOKYOまで →  641日


JR東日本都心部秋葉原御徒町間の高架下に「2K540」と呼ぶ商業施設が2010年暮れにできた。この名称で〝鉄道ファン〟ならピンとくる。つまり、これは「距離表示」だな…と。そのとおり、ここは東京駅から2,540m付近。正式名称は、このあとに「AKI-OKA ARTISAN」とつづくいて、「秋葉原から御徒町の間にある、ものづくり(職人)の街」のこと。名前はヤヤコシイが、ここに集まる「アトリエ・ショップ」の数々はとても知的なシゲキに充ちてタノシイ。ぼくは、モノづくりアイディアのヒントをもとめて、ときどきこの街を覗きに行く*









浪江町の「思い出の品展示場」

 …というのを、はじめて見かけ、訪れ尋ねたら14年8月からここにある、という。
 場所は、国道6号の高瀬交差点そば。
 「6号線高瀬」といえば、いわき市方面へ通れるようになるまで、「通行禁止」の検問が置かれていたところだ。

 何度もUターンさせられた因縁の場所にもかかわらず、これまでまったく気づかなかった。
 それは、ムリもないのだ。「双葉ギフト」の店をそのままに借りており、これといって目につくような掲示もなく、店舗は駐車スペースの奥に引っ込んで在った、からでもある。

 ここには、浪江町内、津波被災地の瓦礫などのなかから、ボランティアたちの協力も得て発見、選別された「思い出の品」の数々が、災禍の痕を拭い去った状態で展示され、運転免許証など本人確認のできるモノを持参すれば、引き渡して貰える。

 たいせつな「思い出の品」を見つけ出した人からは大喜びされ、深く深く感謝もされたけれど…それは哀しいことに、(亡くなった方や避難した方が多いため)数にすれば少ない…のだった。

 それぞれの家族それぞれの、さまざまなカタチでのこる品々のなかに、恵比寿さんや大黒さん、布袋さんの像が目立って多いのは、大漁を願う漁師町ならではの特徴だろう。七福神も歓迎されていた…と知れる。

 もうひとつ、目だって多いのが記念写真で、いまも家族の成長記録が「思い出」の柱になっていることを、
うかがわせる。
 それにしても、潮水に洗われ、晒されながら、おどろくほど生気にあふれ、色褪せていない印象が鮮烈。
 訊ねてみたら、「いまのプリクラなんかに使われているインクがね、昔の写真とは違ってきてるようですよ」とのことだった……

 (思い出の品展示場は、日曜を除く9時~15時開設、☎0240-24-0100)







◆国道114号…いまの放射線量を感じてみる

 この国道は、長らくの「通行止め」と、そして「入域許可証」と「放射線量計」を手にユウウツに減速走行した思い出のふかい道。
 (けれども、ぼくはついに、自身で「線量計」を保有することはなかった)

 見えない放射線を浴びることに無神経だったわけでは もちろん ない。
 ただ、線量計の警告音にいちいちビクビクするより、吾が身の五感を総動員して、その場その場の<環境>と<空気>を身に染ませておけばよかった。

 さいわい、東京新聞の週一記事「3.11後を生きる こちら原発取材班」の17年10月11日号に、9月20日に通行止めが解除されたばかりの国道114号を走行、調査した線量データの報告があったので、それを目安に。
 国道6号から岐れる「知命寺」交差点から西へ あらためて もう一度、走って見た。

 国玉神社をすぎて常磐道・浪江ICあたりまで、町場の線量は低いレベルにある。
 (といっても、政府の長期的な除染目標値、毎時0.20マイクロシーベルト前後…だけれど)

 加倉地区の道路脇には、犬・猫の鳴き声でにぎやかな一軒があって。
 こちらのお宅には、原発事故後の全町避難で飼主とはぐれたペットたち、80匹ほどが保護されている。
 世話しているのは、建設業を営むAさん。
 長らく、福島第一原発の配管・溶接工事やメンテナンスの仕事をしてきた、自責の念もあってのこと。同じ自責の念から、いまも危なっかしい廃炉作業にも携わっていた……

 町場から西の山側にかかって、室原・賀老と進むにつれ、このあたりから先、断続的に線量計の警告音が高くなっていったのを想い出す。
 すぐ脇を流れる請戸川の水音は聞こえない。

 大柿ダム湖を越え、昼曽根地区あたりから津島地区にかけて、いよいよ放射線量のホットスポット地帯に入る。
 線量計の指針は5.0を超え、場所によっては10.0に迫るところもあったのを忘れない。
 北隣りの山地は飯舘村長泥地区で、どちらもいまだに「帰還困難区域」。

 ぼくが、この地区に入って感じたことは、放射線ホットスポット」という存在の在りようだった。
 確かに多いのは〝谷筋〟、それも〝谷と谷との合流点〟だったけれども。しかしそれは、ぼくらが山歩きをしていた頃にもっぱら意識した〝水の流れの谷〟ではなくて、どうやら〝風の流れの谷〟。

 この二つは、同じようでいて、やはり微妙に異なっていた。
 たとえば「ホットスポット」というのは、〝水の淀み〟より〝風の吹き溜まり〟にできるもののようだった……

 国道114号の「通行止め」が解除になって、変わったのは辻々に立つ看板に表示された文言。
 いまは、
 「帰還困難区域につき長時間の停車はご遠慮ください
 になっている。

 山の尾根に出、飯舘村への道を岐け、川俣町山木屋地区へと下りはじめると、放射線量は目に見えて減衰していく。
 「除染」という言葉に無理が感じられなくなるのは、このあたりからだったのを……ふたたび想い出す。

 ……………

 ここで、「東日本大震災」による浪江町の被害と、その後を見ておきたい。

 《11.3.11》大津波原発事故の被害
  〇直接死 151人
  〇関連死 423人
  〇死亡届  31人(計605人)
  〇住宅解体件数 195戸(16年3月末まで)

 浪江町の住民動向
  〇震災前人口 21,434人(7,671世帯)※11年3月11日現在
  〇震災後人口 18,256人(6,950世帯)※17年5月31日現在
  〇〃居住人口    234人(  165世帯)    〃

  ※18年6月末現在、町民の避難状況
  〇県内避難 14,333人
  〇県外避難  6,243人(計 20,576人)

  ※住民意識(16年9月調査) 
   対象9,087世帯 回答4,867世帯(回答率53.6%)
  〇すぐ又はいずれ帰還 17.5%
  〇どちらか判断つかず 28.2%
  〇戻らないことにした 52.6%
  〇無回答        1.7%

 ……………