どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記12>-浪江町②-請戸港の〝展望〟

-No.1845-
★2018年10月10日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2771日
★ オリンピックTOKYOまで →  653日


*「彼岸花」、「曼殊沙華」、「マンジュシャカ」。わが家の花も、約束どおり「彼岸」を前に顔を見せ、ことしもみごとに咲きほころび、そうして彼岸がすむと萎れていった。いまは、ロゼット状の艶やかな葉が、花後の調べ…だが、これも来春には枯れて消え、あとは、また秋の彼岸までなんの音沙汰もない。こんな佇〔たたず〕まいも好ましい秋の花。しかし…どうしたものか、ことしは<白花>がついに顔を見せなかった。命あるものには、いつも驚かされることばかり……*






(2014年春5月撮影の写真、上左は請戸港から見た請戸川上流方面、下右は一面の瓦礫の原から見た福島第一原発










◆「知命寺」の交差点

 国道114号(富岡街道)を福島方面から下って来て、〝浜通り〟のメインルート国道6号と出会う「知命寺」交差点は、ぼくの記憶の襞に刻みつけられてのこる地名のひとつになった。

 あの《11.3.11》大地震津波福島第一原発爆発事故があってから、ずっと、長らく「この先 帰還困難区域 立入禁止」のバリケードに遮られつづけ。
 すぐ近くにあった浪江町役場にさえ行くことができなかった因縁の場所。

 連想が、どうしても「致命」にいってしまうから、なおさらだった……

◆初めての「通行許可証」

 
 14年5月。
 3年目の春になって、〝放射線像〟カメラマンKさんのサンプリング取材に同行させてもらい、「通行許可証」を携え、はじめて「帰還困難区域」に立ち入った。

 そのとき
 飯舘村長泥から浪江町津島地区にかけて、ホットスポット地帯を線量計片手に巡った2泊3日の最後に、ぼくの希望に添うかたちで、請戸港へも立ち寄ってみることになった。

 国道114号は、国道6号との交差点に出会うまで。
 そこから先の港側は一般道だったけれど とにもかくにも 初めて「知命寺」交差点を、「通行許可証」を翳すようにして、突っ切って越えた。
 送迎車か護送車か…は知らないが、なにしろ〝特別〟の身分にはちがいないのを悟ったことだった……

 請戸川の河口に近づくと、風景がガラッと一変。
 その経験の最たるものは、宮城県名取市名取川河口の閖上地区に入ったとき。
 それと同じ衝撃の光景…しかし…ふたつの遭遇の間には、カッキリ2年の〝時〟の開きがあった。

 (そのときの写真が冒頭の2枚、ぼくの後ろ姿が写っている写真はKさんに撮ってもらった)
 

◆それから4年後のいま

 「通行許可証」なしに入れるようになった請戸川河口。

 川岸は堅固な護岸壁に鎧われ。
 数多の漁船が、てんでんばらばらに打ち上げ散らされていた田んぼ跡の、草っ原には重機が動きまわり。
 砕け傾がった岸壁に足の踏み場もなかった漁港は、防波堤までひっくるめて一新され。

 その一画には、足場パイプ組みの「展望台」。
 漁師はじめ住民たちへ励ましの標しであろう、「浪江町の復興は請戸漁港から」の横断幕が、漁船に掲げられた祈りの大漁旗と共に、折からの夏の潮風をうけていた。

 けれども、しかし……

 展望の視線、南へ転ずると、すぐその先には。
 福島第一原発の林立する排気塔群……
 〝貧乏神〟どころか〝疫病神〟の厭らしさで、太々しくも居坐っているのだった。