どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記12>-浪江町①-復興のときを待つ…国玉神社

-No.1841-
★2018年10月06日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2767日
★ オリンピックTOKYOまで →  657日




*去年のサンマ絶不漁には愕然としたボク! 魚形も小さければ食べても脂のノリわるくてパサパサ。それより魚屋の店頭にロクに並ばず、港町の宿の食卓に出たのは冷凍モノだったりもした。もうサンマとは永のお別れかとさえ想った。それが、ことしのサンマ漁はみごと復活。形もよく脂ものって美味く、ウレシや値も安い。さっそく恒例の炭火焼き復活を祝したわけだ…が、ウレシさ余って、こんがり黒焦げ焼きすぎた!* 












◆生きてる者のことが先…

 葛尾村から沿岸部へと下る<脇道>県道・浪江三春線は、大柿ダムの上で<主要道>の国道114号に合流。
 大柿ダム湖脇のトンネルを潜って浪江町に入り、請戸川に沿って太平洋岸へと下る。

 「富岡街道」とも呼ばれた道は、常磐自動車道の浪江インターに至って、町場が近づくのだが。
 この浪江ICの命運も、福島第一原発爆発事故によって翻弄された。

 ……………

 計画では浪江IC、あの東日本大震災のあった11年度の開通を目指していたものが、一転「帰還困難区域」になって一旦は頓挫。
 しかし、地域<振興の目玉>は<復興の切札>に位置づけがかわって、12年夏から広野IC-南相馬IC間の早期開通に向け、除染をともなう工事を再開。
 14年末には浪江IC-南相馬IC間、15年春には常磐富岡-浪江IC間が開通して、全線開通。

 けれども浪江ICから先、仙台方面の常磐道放射線濃度の影響を考慮して二輪車の通行は不可。浪江ICに接続する国道114号も、当初は国道6号方面のみ通行可という〝片肺〟状態だった。
 それでも浪江IC開通のおかげで、地域の息苦しさはずいぶん軽減された。

 ……………

 高速道路から下り、町を目指して行くと左手にぽっかり、あっけらかんと神域が開ける。 
 国玉神社。
 馴染みのない神社名だったので、初めて訪れた15年夏、帰宅後にネットで調べてみたら、「かつては国王神社と称して平将門を祀る」、創建年代は不明とのことだった。

 …………

 平将門といえば、平安中期、短時日ではあったが坂東八ヶ国に覇を唱えた武将。
 国の重要無形民俗文化財として有名な郷土の祭り「野馬追」は、旧相馬藩主の始祖、平将門が武芸鍛錬のために始めたとされている。
 将門には、貴族にとってかわった武家政治の先駆者との評価もあり、東京の神田明神の祭神にもなっている。

 …………

 社殿は壊れ、崩れかけてはいたけれど、放置された感はなくて。
 石の鳥居の欠片や石碑などが、片付けられてあり、社前には供え物がされてあった。
 
 《11.3.11》以後、沿岸被災地では、瓦礫の撤去に手間どるなか、各所に慰霊碑が建てられてゆき。
 そこで、ぼくが手をあわせながら想ったのは、(生きのこった者の手あてが先ではないのか…)ということだった。

 非命に倒れた者の供養が先か、生存をえた者の養生が先かは、一概に言えないけれども。

 こうして、長らく「帰還困難区域」とされ、住民の生活もままならない地にあった神の社が、その後の雨風に耐えながら復興のときを待つ…かに見える存在には、沁み沁みと胸に迫るものがある。

 ぼくは、ふと。
 この夏前の6月末、懸命に住民帰還の環境整備に努めてきながら病にたおれた浪江町長、馬場有さん(69歳)の逝去を想い、冥福を祈った……