どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記11>-葛尾村-安達太良高地に純白の胡蝶蘭!

-No.1839-
★2018年10月04日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2765日
★ オリンピックTOKYOまで →  659日


東日本大震災で行方不明になり、家族が死亡を届け出ていた男性(48歳)が、生存していたという。判明したきっかけは、この男性が滋賀県内の市町村窓口で生活保護を申請したこと。連絡を受けた家族が本人と確認。これで東日本大震災の行方不明者は2536人と1人減となった……それにしても、どうしてこれまで……人の世の無常を想う。人は旅人……*







◆〝酷道〟と胡蝶蘭

 川内村から葛尾村へ。
 表立った道は国道399号1本。
 この、ひとすじ道は「酷道」とも呼ばれ。
 「酷道」とは、つまり、ふつうの乗用車ではきわめて走りにくい、道幅狭隘など〝国道〟の格にふさわしくない道路状況を意味する……
 
 そもそもドライバーは、たとえば国道の場合。
 番号が一桁・二桁台なら<主要国道>だから、まぁ安心だけれども、これが三桁台になると<補欠国道>だからナニがあるかわからない…というふうに値踏みをしてかかる。

 福島県いわき市山形県南陽市の間を結ぶ国道399号、福島県内は阿武隈高地を縫って行くその道すじは、その意味で、はじめからリッパな〝酷道〟といっていい。

 それでも《11.3.11》前は「ラフ・ロード」の部類で、アドベンチャー寄りのドライブを愉しむドライバーには支持されてもいたのが。

 福島第一原発の爆発事故により、葛尾村浪江町飯舘村にかかる道すじの一部が、当初の「計画的避難区域」から「帰還困難区域」に指定変更になってからが、ホントウの〝酷道〟。
 ぼくも、幾度か「通せんぼ」行く手を遮られ、延々遠路の遠まわり迂回を余儀なくされてきた……

 しかし
 晴れ上がった空の下、めったに対向車もない道は気分よし。

 葛尾村に入って間もなく…不意に「胡蝶蘭」の看板が現れたのに吃驚、都会では考えられない急制動気味のブレーキを踏んで、ハンドルを切る。
 右手の坂を上がった敷地に、広がるハウス群が目に眩しかった。

 駐車スペースには、取引先のものらしい関西ナンバーの乗用車。
 ハウスの入り口で声をかけると、「かつらお胡蝶蘭合同会社」の代表社員、松本さんが出て来られた。

 笑顔で差し出された名刺には、胡蝶蘭のカラー写真に「hope white」のロゴ・マーク。
 背後のハウス、テーブル上には、みごとな胡蝶蘭の鉢がズラリと並ぶ……
「わ~ぉ…スゴイですね、これは」
 ぼくの讃嘆の声に、松本さんの笑顔もほころぶ。

 お話しを伺うと。
 栽培施設は約2000平方メートルの広さ。建設資金には県からの交付金を活用、運営は村内の農家らでつくった農業法人があたる。
 代表社員の松本さんは建設業からの転身、栽培のノーハウを一から学んだ。

 ことし年明け早々の1月から、台湾などから輸入した苗での、栽培はまだ始まったばかりだけれど。
 丹精の日々半年を経て、7月に初の贈答用出荷にこぎつけたところ、という。
 村では農業復興の目玉事業と位置づけられ、年間約4万8000株の生産を見込む。

「手応えはヨシですか」
「まだ、いまはピークの時季でないから…ネ」

 そういえば、なるほど、胡蝶蘭など「洋ラン」は冬から春にかけての花。
 おまけに市場での値動きもあって「気が抜けない」とのこと。
 それでも、松本さんの表情から笑みが消えることはなかった。

◆「介護保険料」全国で最高額の村

 胡蝶蘭のハウスは、村の中心部に近かった。
 役場に向かう途中、この春から再開されたばかり、新しい建物になった葛尾小学校・中学校の校庭には、ナニかの行事だろう、にぎやかな人の動きが見られた。

 ちなみに…
  〇葛尾小学校の生徒数  9人(2学級)
  〇葛尾中学校の生徒数 13人
 《11.3.11》の被害状況は…
  〇直接死  0
  〇関連死 40人(死亡届の1人を含む)
 18年9月1日現在の人口は…
  〇総人口 1424人(11年3月11日時点の人口は1567人)
  〇帰村者  259人
  〇避難者 1089人(県内1013人、県外76人)

 ただ、目には見えない疲弊の色は濃いのだろう。
 この春3月、3年ぶりに改定された65歳以上の介護保険料(月額)で、葛尾村は全国一の高額(平均9800円で3年前からは2300円の増額)になった。

 もっともこれは、葛尾村にかぎったことではない。
 福島第一原発爆発事故の「避難指示区域」になった12市町村のうち、南相馬市を除く11で全国平均を上まわる増加額になっており。
  〇2位 双葉町(8976円)
  〇4位 大熊町(8500円)
  〇5位 浪江町(8400円)
  〇8位 飯舘村(8297円)
  〇10位 川内村(8000円)
 …といった具合。

 若い世代には馴染みが薄いだろうけれど。

 40歳以上の人が住民登録している自治体などに払う「介護保険料」。
 65歳以上の場合は、市区町村や広域連合ごとに必要なサービス料を推計して基準額(これに所得による軽減と増額とがある)が決められており。
 つまり、ざっくり言てしまえば、地域の高齢化度・健康度とそれを支えカバーする民力のバランスによる。

 葛尾村を筆頭とする被災町村では、避難生活が長びいたことによる高齢者たちの身体の衰えの深刻化が共通の悩み、家庭内では支えきれない離散家族の影響も小さくないし、過疎化した村内では近所づきあいもままならない。
 「葛尾に帰ってはみたけど、な」ため息まじりに村の〝消滅〟を想う人もいる。

 ともあれ
 避難先から戻った役場。その建物にかわりはないようだったけれども、ひさしぶりに自宅でさっぱり汗を流した感はあって、前庭にあった松の植栽が撤去されたせいか、全体に明るくなっていた。

◆「気分だけでもめげねぇように」

 以上、ツキつけられている現実の厳しさと、それとは真逆にサバけた気分とが、ここ葛尾村で味わってきたボクにいちばんつよい印象。そのわけは……

 まだ避難生活が始まったばかりの頃、役場前庭のプレハブ小屋で出逢った村人有志たちの声。
原発できたって、爆発したって、カンケイないってよ、おれたち葛尾村は…」
「除染だ…なんて、国もバカなこと言うさ、この森の樹どうやって洗おうってんだか」
 村内パトロールから休憩に戻って「お茶っこ」しながら、彼ら高齢の男たちは口々に、声高に笑いとばしたものだった。

 葛尾村の避難者の多くは三春町に住んだ。
 朝早く仮設を出て、山道を古里の村に出戻り、夕方までをすごして、また山を下って行ったのだ。
 その行き来がなくなっただけでも、しゃあない、まぁいいか……

 「これから浪江町へ下ります」
 ぼくが別れを告げると、役場の駐車場に居た人たちが集まって、道選びをあれこれ検討してくれ。
 結果すすめられた県道・浪江三春線を行く…と、すぐに、冷然とした「通せんぼ」の現実、ジュラルミンの〝竹矢来バリケード〟が道すじに顔を見せ始めた。
「この先帰還困難区域につき通行止め」