-No.1835-
★2018年09月30日(日曜日)
★11.3.11フクシマから → 2761日
★ オリンピックTOKYOまで → 663日
*魚類学者、鈴木克美さんが書いた『魚は夢を見ているか』(丸善ライブラリー、1991年)という本。これは、<魚を食する国>日本にいながら、魚のことをあまり知らない私たち…に向けた、フシギな魚のお話し集。そのなかに、「ブダイは、身体のまわりに粘液の袋のようなものを張りまわして、そのなかで寝ている」というのがありました。とても、とっても寝ごごちよさそうなドリーミング・カプセルに想えて…すこしも可愛らしさの感じられないコワモテ大型魚ブダイが、これで、いっぺんに親しみやすく、「いいこだねぇ」って気分になりました*
◆暗転した「明るい未来」
福島第一原発の立地する、大熊町と双葉町には、はじめっから縁が薄い。
どちらも、町の全域が「帰還困難」の立入禁止区域だからで、他所者は申請して「通行許可証」を得てでなければ入れない。
<被災地巡礼>とはいえ、こころ身構えたくはないボクたちの旅に「通行許可証」というのは、あまりにも似合わない……
それでも大熊町の方には、此度〔こたび〕もふくめて少しは、なんとか縁の端切れくらいは掴めるチャンスがあったのだ、けれども……
ぼくにのこる記憶は、ただひとつ、「ジュラルミンの竹矢来バリケードの向こうにジッと息をひそめて逼塞する町」でしかない、それが双葉町だった。
「原子力 明るい未来のエネルギー」
こんな標語を掲げるアーチの看板が、国道6号から役場に通じる交差点にあって(いまはもう撤去されてない…)、ぼくも目撃はしているが、警備員に停車を阻止され写真に撮るチャンスはなくてすぎた。
◆再整備されることになったJR常磐線「双葉駅」の…
イメージ図が、「帰還あとおし」の見出しとともに新聞に掲載されたのは、今年8月6日。
オリンピック開催の20年3月末、列車の運行再開(全線開通=現在はのこされた福島県内の富岡-浪江間だけが不通)にあわせての完成を目指して、起工式が行われたという。
新聞の記事は、常磐線全線開通にあわせて双葉駅周辺などの避難指示を先行解除、22年春頃までに住民の居住再開を目指す…と結ばれていた。
(上掲の図版、下左が再整備される駅舎のイメージ図、右が旧駅舎)
これで、ようやく双葉町とも親しくなれそう…な気がした。
さかのぼって昨17年の12月には、「帰還困難区域の除染開始」の記事が新聞に載っていた。
目的はいうまでもない、「特定復興再生拠点区域(復興拠点=町面積の約11%にあたる555ヘクタール)」の整備に向けて、だ。
しかも、これまでの東電の除染とはわけがチガウ、国費(国威)をかけた除染である。
記事にはついでに、「双葉駅周辺の除染を優先させる」とも記されてあったのダ……が。
やはりそこ(駅周辺)は…まだ いまも 立入禁止のまま。
「こんなに時がたってしまって、家も荒れ果てて、帰ったって生活できるとは、とても思えない」
新聞紙上に載った住民(避難者)の声が蘇るばかりだった。
◆「お詫びのしるし」の高速道路改修
ともあれ、失われすぎた福島県〝浜通り〟のインフラ。
交通については、常磐道でもいま、着々と改良工事が進められている。
それは、まず<片側追い越し車線付き2車線>の「4車線化」(現在は片側1車線づつ)であり。
さらに、双葉町には新インターが誕生することになる…ようだ。
しかし
道路上、大熊町に設置されている線量計、電光掲示の数値はあいかわらず「3.0マイクロシーベルト」で、他の地点が「0.1~0.3」に下がって安定してきているのに対して、明らかな「高どまり」。
この現状を想うと…高速道路の改良も、ただひたすら、〝国策〟原発爆発事故「お詫びのしるし」に見えてならない。
そこで、まとめて見る
◆大熊町と双葉町の《11.3.11》被害状況
〇大熊町 直接死 12人
関連死 123人(計135人)
〇双葉町 直接死 17人
関連死 150人
死亡届 3人(計170人)
行方不明 1人
原発爆発事故さえなければ…
◆後日談2つ
①「もっと生きられたのに」福島事故後44人死亡 双葉病院(東京新聞18年9月19日)
津波対策を怠ったとして業務上過失致死傷罪で<強制起訴>された東電旧経営陣3被告に対する裁判の公判で、双葉病院(大熊町)元看護師の女性が証言。
(概説)「原発事故で、やむをえず無理な避難を強いられた患者338人のうち、亡くなった44人の方はいずれも治療ができなかったから。バスが避難先に着いた時点で、途中排尿の処理も受けられずに来た車内は強烈な汚物の臭い。ひと目でもう亡くなっているとわかる患者さんもあった。病院に戻ることができれば、医療品や薬品を使えた。原発が事故を起こさなければ、もっと治療はできたと思う」
②「80キロ圏 線量10分の1に」福島第一原発(爆発事故後=筆者註記、18年9月11日)
(概説)日本原子力研究開発機構が、原発の半径80キロ圏内の主要な道路を、放射線測定器を載せた車両で(11年6月以降)年間2万キロ以上の走行を積み重ねた結果の、空間線量測定比較を学会で発表。
それによると、11年当時は全体に毎時3.8~9.5マイクロシーベルトの地域が広がり、帰還困難区域のなかには19マイクロシーベルトを超える高線量のところもあった、が。
17年の調査では、避難指示区域外の線量がおおむね10分の1程度まで低下。帰還困難区域でも19マイクロシーベルトを超える道路は確認されなかった。
これは、放射性物質の自然減衰に加え、除染効果があったものと見られる、という。
しかし。
これは、あくまでも条件のいい方の<道路>での数値であって。
それより総じて高い線量が報告されてきている森林地域(除染されていないし除染そのものが困難)は含まれていない。そんな状況で
「道路周辺の線量変化を予測し、将来の住民帰還につなげていきたい」というのは、およそ<よそごと>目線の、アマすぎる悪戯な感想にすぎないことは、明白だった……