どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記06>-広野町①-火力発電所のある町

-No.1791-
★2018年08月17日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2717日
★ オリンピックTOKYOまで →  707日


*「ウィルチェア(車椅子)ラグビー」の世界選手権大会で、日本! リオデジャネイロ・オリンピックの覇者(このときの日本は銅メダル)オーストラリアを破って、初の金メダルは、やったネ! ラグビーにバスケ、アイスホッケーの要素もとりいれた障害者スポーツ…にしては「マーダーボール(殺人ボール)」の異名もあるほどの烈しさ。ぼくはまだコートサイドで実見したことはないけれど…特殊仕様の車椅子同士の激しいタックルやボディコンタクト戦には凄味が横溢する*













福島第一原発から20~30km圏、火力発電所のある町

 ぼくの、自家用車を駆っての《11.3.11》、これで8年目19度目の被災地東北行脚は、ただ1度、北から南下を試みたことがあるだけで、いつもきまって北上の旅。

 これはやっぱり、ぼくが「北帰行」(…北半球タイプ)の旅人であった所為〔せい〕だろうか、南下には、ぜんたいに何処かシックリしない気分がともなった。

 このたびの遍路も、大筋 その「北上」に従って行く。
 そこで、沿岸部〝浜通り〟に位置する市町村と、その位置関係を、はじめに見ておきたい。

 茨城県に接する いわき市を南端に、北へ。
 広野町楢葉町富岡町大熊町双葉町浪江町、の6町。
 そして、その山側に、川内村葛尾村飯舘村、の3村。
 上記のうち、行政区分では相馬郡に属する飯舘村をのぞく、青色の6町2村で「双葉郡」が成りたっている。
 その北に、南相馬市相馬市とがあって、北端の新地町相馬郡)で宮城県境になる。

 《11.3.11》後すぐ、首都圏からの常磐自動道は広野インターより先へは行けなかった。
 線量計の赤い電光表示にうながされて国道6号に下りると、これも間もなく、右手にJヴィレッジのある「楢葉工業団地入口」交差点で「この先 通行禁止」。

 ここは、もう、爆発事故のあった福島第一原発から20kmの「緊急時避難準備区域」、つまり〝避難指示〟圏内。
 ぼくは、見えない原発事故現場と思しき方角の空を睨んで…迂回の道を探ることになるのだった。

 そういう立地にある広野町だったから、どうしても注目の意識からは漏れやすく…細見するのは、これが初めてのことになる。

 ……………

 インターから国道に出る、取付道路にすでに見られる近ごろの明らかな変化は、ホテル群の進出である。
 それも…(ホテルとはいいながら)こんなのを〝復興・建設需要仕様〟とでもいうのだろうか、まったく素っ気もなく簡素な造り、工事現場のプレハブ事務所とも大差なく見える。
 ここがすんだら解体してまた別の被災地へ移動、とでもいうことだろうか…なんとはなしにヤルセない。

 海岸に出てみると、いまの災害対策では何処でも見馴れた長大な防潮堤風景が、真っ白に眩しく暑い夏の陽をはじき返していた。
 
 東日本大震災(町内では震度6弱を観測)による、広野町の被害状況。
  〇直接死  2人
  〇関連死 44人(計46人)
  〇行方不明 1人

 大津波(推定9m)は防波堤を越えて沿岸部に浸水、ライフラインを壊滅した けれども さいわい浸水は常磐線の線路までで止り、それより山側にはおよばなかった。

 住宅被害は、全壊113世帯、大規模半壊35世帯、半壊181世帯。
 被災をまぬがれた広野駅 構内には
  〽汽車 汽車 しゅっぽ しゅっぽ しゅっぽ しゅっぽ しゅぽっぽ
   ぼくらを乗せて ぽっぽ ぽっぽ しゅぽっぽ
   (中略)
   いまは山なか いまは浜 いまは鉄橋わたるぞと……
 童謡『汽車』(大和田建樹=作詞)の記念碑がある。

 その広野駅からはもとより、町内のあちらこちら、ほとんど何処からでも見られるだろう煙突のある風景は、東京電力広野火力発電所
 ここの稼働中だった発電機も、震災時には運転停止に追いこまれていた。

 広野町の全町「避難指示」が解除されたのは、2012年の春4月のことだった……