どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記02>-いわき市②-応急仮設住宅、高久団地の解体現場を見る

-No.1781-
★2018年08月07日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2707日
★ オリンピックTOKYOまで →  717日


*わが家のトマト収穫です。「おいしそう」でしょ…でも、これには見えないワケがあって。じつは、これ、甘さきわだつ高級品として有名な高知産「徳谷とまと」。昨年、友だちがプレゼントしてくれた実からぼくが種を採って、実生の苗から育てたもの。さて…どうなることかと思っていたら、やっぱり…一代雑種。つまり、丹精して育て採れた実は「徳谷とまと」ではなく、先祖帰りした…どこにでもある普通のトマトだったのデス。ま…それでいいんです、けどもネ!*











楢葉町からの避難者が住んだ高久仮設団地へ

 天皇・皇后両陛下が慰問に訪れた復興団地の後に、こんどは応急仮設住宅団地のいまを見ておきたかった。
 目指したのは、いわき湯本温泉郷の東、いわき公園の周辺にあって、中心市街からは〝郊外〟の いわきニュータウンに位置する。

 パタッと車両の通行が絶えて、草蒸れ(草いきれ)のなかをしばらく行くと、見馴れた仮設住宅群が姿をあらわし、道路の南側、入口のところには「高久第九応急仮設住宅団地」の看板が立てられてあった。
 応急とはいえ大方のプレハブとはちがって、こちらは木造り。

 道をはさんで向かいの北側には「第十団地」。この地区には楢葉町からの避難者が多く住み、町役場も一時こちらに移転、「いわき出張所」を置いていた。

 いまどき、子どもたちも屋内で遊ぶことが多い、日中の住宅地はおしなべて閑かなものだ…けれど、それにしても閑かすぎる、暮らしの匂いがしない。
 長屋づくりの1棟…2棟…と、玄関まわりを見て歩くまでもなく〝空き家〟と知れた。

 楢葉町が、この春にも仮設住宅の〝提供〟をうちきる方針であることは、新聞報道で知っていた。
 ……が、「まぁだ、それどころじゃねぇだろが」、「町に帰りたくても、帰ったとしても、向こうでまともな暮らしができんのか?」、「なぁんにもできねぇうちから、戻れ戻れって、話しの順序が逆だろさ」、住民たちからは怒りや不安の声が多かったし、猶予の延期が少しはあるだろうと思っていた。

 しかし
 楢葉町のサポートセンター「空の家」もすでに閉鎖され、空き家になった木造家屋のなかには、どうやら解体にあたるらしい人の姿も見られる。

 《11.3.11》の被災地でも、宮城・岩手ではいままさに〝仮設〟住宅の廃止・撤去、団地の統廃合、復興住宅へ移住の動きが活発だ。
 けれども……ちょっと待ってほしい。

 ここは、津波にプラス原発事故、放射能汚染という、二重・三重の被災を被った福島県である。
 前にも何度も指摘してきたとおり、復興のあしどりは宮城・岩手の両県より2年は遅れているのだ。
 その福島県で、いま、宮城・岩手の両県と同様の対処・処置…というのが、なんとも解しかねる……
 
 作業中の人に訊ねてみたら地元工務店の者とのこと。いわき市から4軒分の無償供与、許可を受け、木構造材などの解体・搬出に来ている、という。
 なるほど、ぶっ壊し屋の乱暴無慚な解体とは、作業ぶりもちがって手順にしたがい、材質を見ても廃材にするのは勿体ない。
 「跡地がどうなるかは、競争入札で選ばれた業者しだい…じゃないですか」ということらしかった。

 念のため、道の向こうの「第十仮設」地区も歩いてみたが、同じく空き家ばかり…と思われるなかに1軒だけ、住戸を見つけた。家のまわりに植栽もあって、窓が開いている。
 なんだか救われた想いになって、仄暗くなった室内へ声をかけたが返事がない、さらにもうひと声にも反応なし。でも…すぐ脇には「もみじマーク(高齢運転者標識)」をつけた軽自動車も停車しており…どう見ても、そんなはずはない。奥の部屋で昼寝中とか…。

 ぼくは、ふと、新聞記事に写真が載っていた「仮設住宅供与うち切りに反対」する人を想い泛べたけれど、(ちがうな)すぐに思いなおす。
 記者の質問には強気にこたえても、根はこころ根やさしい人が多いのがつねで。これとはまったく別個に、頑として梃子でも動かない人というのがある…どうやらそっちのタイプの人のように思えてきた。

 県営いわき公園の方に移動してみると。
 濃い緑のなか、北隅窪地に「第八仮設」があったけれども、こちらもやはり、住む人のある家は2~3戸にすぎず閑散とするばかり。
 すぐ向こうの緑陰には、市民らしい数人の休憩する姿が望まれ、駐車場には「ここは仮設住宅専用」の掲示があった。
  

楢葉町の状況

 福島第一原発事故で全域避難した7町村(楢葉町富岡町大熊町双葉町浪江町葛尾村飯舘村)のうち、2015年9月、最初に避難指示が解除された楢葉町
 あれから2年半が経過しても、帰還した住民はわずか32%(1213世帯2270人)にとどまっている。

 昨年12月時点では…
 町外の仮設住宅および民間借り上げ住宅に住んでいた3292人のうち、帰町した人が44%、町外移住の意向の人が50%、のこり5%が未定。
 「それでも他の町村にくらべたらマシ、いいほうだ」といっても、厳しい数字にはちがいない。

 高齢化の現実にもキビシイものがある。
 65歳以上の高齢化率は原発事故前の26%から38%に増え、いっぽう離職者があとを絶たない介護現場からは悲鳴がきこえる。
 さらに、町はおおきく北側の竜田地区と南側の木戸地区にわけられる…が、スーパーや郵便局・薬局など生活に密着する施設の整備は竜田地区にかぎられ、木戸地区は遅れたままになっている。

 いうまでもなく〝仮設〟はあくまでも〝応急〟だし、住民の事情もさまざま。
 現場関係を中心に、苦労が絶えない役場職員の疲弊も指摘されるとおりだ。
 行政サイドには「町でありつづけられるか」の危機感があることも確か、だろう。

 それでも、やはり、市町村の復興を考える目線はいつも、災害弱者にやさしくなければならない。
 町村は、いつでも住民とともにある姿勢(住民がなければ町も村もない)を忘れず、義務を矮小化したがる国や東京電力とつよく対峙していかなければ、自治体としてなりたたないことを知るべきだと、ぼくは思う……