どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北2018福島・巡礼/ <報告記01>-いわき市①

-No.1779-
★2018年08月05日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2705日
★ オリンピックTOKYOまで →  719日


☆1 巡礼に旅立つ前にも申し上げましたが。このたびの西日本豪雨災害も、一層深刻でした。個々人の防災意識と行動だけでは、乗り越えられないレベルのものがありました。環境の軽視・破壊ということでは、<自然災害>に<人災>がダブってもいました。災害列島の日本で、いつまでこんな<その場しのぎ>をくりかえしていくの? いいかげんに国をあげて<改悛>しなきゃね。この「報告記」シリーズ投稿後に、ぼくからのアピールを再掲させてください。自身72の爺っちゃは、若い力<同志>の方々に西日本支援をお願いしての、東日本大震災被災地巡礼。《11.3.11》もまだおわっちゃ…いません。
☆2 このたびの2018福島、巡礼のテーマは「復興の曙」。どこまで見通すことができるか…です。あわせて「完全燃焼 2020東京オリンピック聖火をバイオメタンで燃やそう!プロジェクト」、東北大学大学院農学科多田准教授のチームが進める企画のお手伝い、小中学校などに協力お願いの行脚もしてきます。











いわき市…というところ

 いわき市は、福島県浜通り〟南部の拠点都市。
 というよりも、県内随一の面積と人口(これはいま郡山市に首位を奪われているけれども…)を擁する中核都市、といったほうがいいでしょう。

 それはワカッテいる…つもりでしたし、実際に《11.3.11》から今日までの8年間は、この街を目途に福島を見てもきました、が。
 まだ、ほんとうには目が届いてはいなかったらしい、ボクにはそんな気がしてもいました。

 それは、「スパリゾートハワイアンズ」(かつての〝常磐ハワイアンセンター〟)に最初の宿をとったことによる…と思っています。

 ぼくは、〝浜通りいわき市の沿岸部も、勿来〔なこそ〕海岸から小名浜港界隈、「アクアマリンふくしま」、塩屋崎、新舞子浜、波立海岸…と、ひととおりは訪れ、津波被害の実情も見てきていたのでした、けれども。

 なにしろ、あのハワイアンズ「フラ」のパンチのきいた存在感には、とても敵わない。
 (いわき市は、まぁ…大丈夫)と思わされてしまったフシがあるのでした。
 つまり、その懐の深さが見えていなかった。
 ですから今年は、再認識のための再訪。

 そんな<いわき市>を概観しておくと……
 
 なんといっても、歴史にのこって名高いのは、むかし「常磐炭田」のあったところ。
 その石炭輸送のため、いわば〝産業線〟として登場したのが常磐線で、この基幹鉄道は,、「みちのく」文化へのアプローチとして位置づけられた東北本線と、好対照をなすものでした。

 やがて「石炭」から「石油」へ時代が移ると、新産業都市への発展を目指して、平・磐城・勿来・常磐・内郷の5市に5町4村を加えた大合併(1966年)を敢行。
 同じ年に誕生した「スパリゾートハワイアンズ」の成功で、観光都市への変身もみごとにやってのけました。

 現在の「いわき市」を有名にしたのは、「むつ市」と並ぶ「ひらがな名」。
 同時に、合併による市域の広大さ(1232㎢余)は当時の日本一(その後〝平成の大合併〟があって現在は15番目)。

 太平洋に面した海岸線は延長60km。
 《11.3.11》東日本大震災では震度6弱を観測、1ヶ月後の4月11日にも同震度の地震に見舞われ、津波・土砂崩れなどによる死者は400名以上に達しました。

 一般にはあまり知られていませんが、この いわき市でも、震災&原発事故からの半年で他郷へ約7000人という避難者を出しています。
 けれども、双葉郡の拠点都市であるこの町には、広野・楢葉・富岡・大熊・双葉・浪江といった町々から、多くの役場機能の移転にともなって約2万4000人という被災避難者の転入があったために、人口増という結果になっています。

 土地人に聞けば、「広い」といっても常磐道(1995年完成)より西側はほとんどが阿武隈高地で、市内の可住地はわずか3割弱しかなく、平地は丘の間にとびとびにあるだけ…とのことながら。
 それでも「広い」印象を受けるのは、沿岸部の海にむかって開けた平地と、その後背地の奥深いおかげ。

 加えて〝浜通り〟の穏かな気候が背中を押しています。


 このたびの宿をお願いしたのは、いわき湯元温泉郷の旅館「岩惣」。
 原発事故による放射能汚染という風評被害の影響おもく、いまも温泉旅館ほんらいの〝1泊2食付き〟営業にもどれていません。

 その「岩惣」の、お女将さんは言います。
「真冬でも、雪は降っても、街中では積もるほどのことは ほとんどありません。ここでも雪を除けるのはひと冬に1度か2度、それもお客さま用の駐車場くらいですからね」
 1年の寒暖の差も少ないので助かりますよ、と。

 東北にあっても<年間の日照時間>最長、<1日の平均気温>も最高。
 これらの好条件にひかれて、高齢の世帯を中心に、沿岸部からの避難者が多く身を寄せたのでした。
 ぼくは、ざんねんながら、いわき市にできた応急仮設住宅団地の総数を知りません。
 それほどたくさんあった〝仮設団地〟群がいま、〝復興団地〟群に生まれかわりつつありました。 
 

天皇・皇后両陛下が御出でくださった…

 はじめに訪れた北好間(復興)団地は、市街の北部、常磐道いわき中央インターからほど近いところにありました。
 団地の完成入居は、今年の春3月…そうして 両陛下のご訪問は6月のことでした。

 鉄筋コンクリート3階建て(16棟・323戸)の外観は、まぁいまどきの定番といいますか、ゆとりをもって明るい設計。
 団地前の草地にソーラーパネル…のエコロジー仕様は、《11.3.11》被災地東北復興に共通したスタイルといっていいでしょう。

 1階の住戸は、バリアフリー引き戸の玄関。
 各住宅用に戸外倉庫があり、両陛下と歓談の会場になったにちがいない集会所も、大きくて立派なもの。診療所も団地内にあって、住戸内は拝見できなかったけれども、3LDKには対面キッチンが採用されているそうです。

 天皇みずから訪地を選ぶ、というようなことは、まずないでしょう。
 こんなところを ぜひ お訪ねいただきたい。
 関係者の自薦他薦、調整があれこれあるにちがいなく。
 さすれば、ここなどはまさしく、関係者一同のお眼鏡にかなったところ、といえそうでした。 

 折から、気象庁が厳重注意を呼びかける〝緊急会見〟を開くほどの酷暑のさなか、近くのコンビニに氷水をもとめてとび込んだら、たまたま団地に住むお婆ちゃんに逢うことができて。
 その、お婆ちゃんの言葉がつよく印象にのこりました。

「あんなことがあって辛かったときに、よその仮設団地に天皇陛下美智子さまが慰問においでになって、やさしいお言葉をかけていただいている人たちが、ずいぶん羨ましかったものでしたけど…わたしも、おかげさまでお逢いできる幸運を、ここでいただくことができました、ハイ…手までとってくださって、ネェ。そうそう、そういえば、その後でしたか…総理大臣が、両陛下のなさることを真似たんでしょう、はじめて床に膝をつく姿をテレビで見ましたが…えぇチガイましたネ、ぜんぜん…気もちがこもっていませんでした。形をマネてみただけ、でしたもの。あの総理って方は…それでいいんだ…と思ってるみたい、えぇ…膝を着けばいいんでしょ…って感じが、見え見えでねぇ、なんだかとってもオカシかったのをよく覚えていますョよ。両陛下のお心もちはホントに、いたいほどこちらに伝わってきましたのにねぇ…」