どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

『万引き家族』と『ワンダー 君は太陽』/    〝映画の街〟有楽町で、まとめて映画2本を観た1日

-No.1747-
★2018年07月04日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2673日
★ オリンピックTOKYOまで →  751日


*7月3日、落語の桂歌丸さんが亡くなりました(行年81)。テレビでは『笑点』でウケましたが、高座では大向こうを唸らせるのとはまた別の、<客席とともに笑う>寄り添いタイプの気さくな芸人、ぼくは真打ち昇進あたりからの、もっぱら寄席でのお付き合いでした。ご冥福を祈ります。 

*季節は「半夏生〔はんげしょう〕」 。ことしは7月2日でした。日本の季節感をあらわす<雑節>のなかでも、実感とびきりの「半夏生」です…けれども じつは ぼく。この名称が「ハンゲ」と呼ばれる草の「生える」頃…という謂れを知りませんでした。つまり「半分夏」だとばかり思ってました(思いこみってホントおそろしい)。じつは、かみさんのお友だちからいただいたご機嫌うかがいのメールに添付されていた写真から、はじめてそれが知れました。「ハンゲショウ(草の名もいまはコレ)」は、別名「カタシログサ」。名前どおり、緑の葉の半分が白く染め抜かれていて…ふむ…ふぅむ! 「半夏生」は農家にとって大事な節目で、この日までに「畑仕事をおえる」とか「田植えをする」とかの、目安になるのだと聞いたことがあります。1年の農作業の<折り返し>、7月7日の「七夕」には仕事を休む習慣がいまもあります。*





◆いっきに映画2本を観て愉しむ1日

 この春オープンしたばかりの、東京ミッドタウン日比谷
 いまも都心の〝映画の街〟でありつづける有楽町ですが、その一翼をになう「TOHOシネマズ日比谷」がここに<スクリーン広場>とも呼ぶべき空間を提供しています。

 みずから選ぶ<映画の日>には、できれば2本まとめて観るのがボクたち流で、以前は映画館の〝はしご〟も楽じゃなかったりしたのだ けれども いまは1ヶ所で10以上もあるスクリーンの中から、スケジュールを調整すればオーケーだったりする。

 この日、鑑賞したのは、次の2作品。

カンヌ国際映画祭最高のパルム・ドール授賞『万引き家族

 ぼくが、こういうピカピカの話題作をロードショーで観るのは珍しい。
 たいがいは少し間をおいたところで、しばらく様子見(そぅです…ちょと斜に構えてみるワケ)をしてから、出掛けて行く。
 このキョリ感がまた、なんとも言えない。

 『万引き家族』は、是枝裕和監督が構想10年近くをかけたという作品。
 親の死亡届を出さずに年金を不正受給する…おおきな社会話題になった世情に材をとり、現代人間模様のアヤを描いた といえば これ以上の説明は不要だろう。
 しかも映画界最高の栄誉を獲得してもいるのだから、これ以上の褒め言葉も不要かと思われる……

 そこで、もう少しばかり<斜に構えて>みる、と。

 まず、カメラワークには くふう が見られるものの、映像美ということではザンネンだった。
 これがアメリカのアカデミー賞だったら さて どうだったろう。

 フランスの映画祭は ぜんたいに 哲学的な思潮の作品をこのむ傾向が色濃い。
 日本映画に期待するところも、東洋的な精神性と神秘…に
 カンヌ映画祭で、これまでに日本がパルム・ドールを獲得した作品は、衣笠貞之助監督の『地獄門』(1954年)、黒澤明監督の『影武者』(1980年)、そして今村昌平監督の『楢山節考』(1983年)と『うなぎ』(1997年)。

 これらの作品すべてを<そのとき>に観てきたぼくには、言うことができる。
 その傾向にある…ことは確かだ、と。

 もうひとつ。
 これは、多くの鑑賞者が感じたことらしいのだけれど、「謎が多い」といわれる。
 それは、もちろん監督の意図したことであるだろうし、くわえて音響効果のこともある。
 つまり、台詞が聞きとりにくい。

 もともと映画というのが、その多くは、おおきなスクリーン映像に大音響をともなう非日常の迫力世界だから、まぁやむをえない面もあるし。
 そうして、外国映画の場合には字幕がたすけになるから気になることが少ないのだが、映画における台詞というやつ、テーマ曲(映画音楽)ほどにはだいじにされてこなかったフシがあるのだ。

 いいかげんに映画の観客たちは、その音声・録音の質の向上をもとめる声を上げるべきではないのだろうか。
 (耳のわるくないヒトにとっても、いまの音声・音響・録音が〝ここちよい〟とはいえないと思う)
 
 ……さて、それはさておき……

 『万引き家族』のパルム・ドール授賞に対する反応の鈍さが指摘された安倍政権は、あわてて林文科省の名で是枝監督に「祝意」を示したい意向を申し出たが、「公権力とは潔く距離をたもちたい」とやんわりオコトワリ…アッパレであった!

ジュリア・ロバーツがよかった『ワンダー 君は太陽

 もう1本は、アメリカ映画。
 全世界で800万部というベストセラー小説『ワンダー』をもとに描いた、いかにもアメリカらしいアメリカ映画……

 ぼくは前に、「アメリカという国には〝寛容〟と〝傲慢〟という、相反する二つの精神が同居する」と言ったことがある。
 それがアメリカの〝素晴らしい〟ところでも、同時に〝鼻もちならない〟ところでもある、と。

 この相反する二つの精神はまた、大衆娯楽<映画>の世界でも目立って遺憾なく発揮される。
 『ワンダー 君は太陽』は、〝寛容〟な面のアメリカを代表する、といっていい作品。
 なんしろ、泣かせて、笑わせて、ハッピーにさせる。

 公開されたばかりだし、予想どおりの<入り>でもあるから(劇場でご覧くださればワカリます)、STORYの紹介は公式サイトの冒頭にある「オギーは10歳、普通の子じゃない」…だけにとどめておく。

 よくできた作品で、ぼくも「ほろり」、まんまとその術中にはまった……

 じつを言うとボクは、主人公オギーの母親役を演じたジュリア・ロバーツを観たかったのだ。

 ぼくにとってのハリウッド女優は、いちばん新しくてオードリー・ヘプバーン(1929~1993)。
 古いといえば なるほど 古いが、(ボクにとっては)後続がなかったんだから、しようがない。

 それが、『プリティーウーマン』(1990年)でジュリアに出逢って、ハリウッド女優〝ニュー・スター〟誕生の予感があった。この大ヒット作品で彼女はゴールデングローブ主演女優賞。

 彼女の存在感の魅力は、ボーイッシュでいてコケティッシュ、これまでの女優像とはひと味ちがっていた。
 彼女の身体の動きからは、底の方から湧き上がってくるふうの(こどもっぽくて、いたずらな)躍動感が、みなぎっていた。
 なにか…やってくれそうな気がした。

 次に、ジュリアに出逢ったのは『ペリカン文書』(1993年)。
 この作品で、彼女にはじつは、コメディーよりもシリアスが似合うことを知らされた。
 人の「しなやかさを秘めたつよさ」を言いあらわすのに、よく「竹のような」と表現するけれど、彼女の場合はまさしく「篠(しの=竹、笹)」の根基であった。
 (彼女がヒンドゥー教徒とは、あとで知ったことだったが…ふ~ん、なるほどね…ナットクであった)
  
 したがってボクは
 甘い『ノッティングヒルの恋人』(1999年)なんかより、だんぜん
 芯の太い『エリン・ブロコビッチ』(2000年)のほうが、いい
 ジュリアらしさで遥かにまさっていたのだから(この作品でアカデミー主演女優賞)。


 それから、じつに久しぶりの再会が、こんどの『ワンダー 君は太陽』。
 ジュリアも、50。けれども
 オギーを〝太陽〟にめぐる〝惑星〟(家族・知己)のなかで、ひときわ輝きをはなつ〝明けの明星〟ジュリアがとても美しかった……