どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「種子法」廃止(2018年)…それはないだろう! /あなたも〝食べ幸人〟なら軽く見ない方がいい

-No.1723-
★2018年06月10日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2649日
★ オリンピックTOKYOまで →  775日



*この5月末、「平成最後の5月を終える」旨の報道があり。また、同じ月末、国賓として来日中のベトナム国家主席夫妻を招いた宮中晩さん会が皇居で開かれたが、これが現天皇・皇后両陛下による最後の宮中晩さん会になるだろう、という報道もあった。現代初の生前退位による皇位継承がいよいよ現実味をおびてきた。なお、この宮中晩さん会では天皇陛下が、予定していた挨拶を一部飛ばして読まれる一幕もあったとか。くわしい事情はわからない、けれども、天皇みずから生前退位の意向を表明されたことが、あらためて峻厳な現実味をおびて納得させられたことだった。*







◆<種子>が<強者>に独占される…

 立法府(機関)たる国会が、しらじらと空洞化して見えてならない、今日この頃。
 立法府はいうまでもなく、立法(法律の制定)だけでなしに改定や廃止にも携わるわけだ、けれども。
 政治の世界に関わる人か、新聞の政治欄を隅々まで見逃さないひとでもないかぎり、立法すべての動静を知ることはむずかしい。
 
 だいたいが、たとえ国会の会期中だって政治欄に興味を集中する気にはなれないし、それではマズイと思ったところで、どうなるものでも、どうできることでもない、のだ。
 ましてや、最近だと「森友&加計」とか、重大な案件に気をうばわれていると、その他のことにはどうしても関心がうすれざるをえない。
 ときの政府筋なども、そのへんの事情をうまく利用して、なるべく目だたないようにコトをすすめようとするから、なおさらだ。

 こうして、種子法(主要農作物種子法)は昨年17年春、「共謀罪」法案の強行採決で荒れる政局のなか、論議がつくされることもないままに成立、この4月1日に「廃止」となった。

 「種子法」というのは、1952(昭和47)年に制定されたもので、「主要農作物」というのは「米」「麦」「大豆」のこと。

 この法律は、戦後まもない日本の食糧増産を目的としたもので、優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産について圃場審査その他の措置を行うこと、国の主導で都道府県に実施を義務付け、制定された。

 具体的に言えば、各都道府県は、農業試験場などでそれぞれの気候や風土に適した優良品種の開発を推進し、原原種・原種の生産もし、同時に優良な「奨励品種」を指定して種子の安定供給や品質確保につとめ、種子審査制度なども実施してきた。

 たとえば稲の場合、これまでに全国で450種の奨励品種が育ってきている。

 この法律を廃止する論拠は「規制緩和」であり、その背後には「もういいかげんに〝戦後〟を終わらせたい」気分がただよう…が。そこには環太平洋連携協定(TPP)の発効を前提の影も散らついて、なにやら胡散臭いし、この国は<農業>に軸足を置いていないこと、明らかだ。
 食料安全保障なくして、どうして国が成り立つものか、と思う。

 農水省のお役人に言わせれば、「民間企業が参入し、連携して新しい種子を開発、供給するようになれば、生産者はより幅広く種子を選択できるようになる」のだ、けれども。
 
 営利至上主義の民間企業に参入させたら……
  ①種子の安定生産・安定供給、地域の種子の品質向上や安定供給のシステムに支障が出るのではないか。
  ②一部企業による種子開発や品種の独占がおこり、種子の価格上昇(5~10倍に高騰するだろうとの予測もある)を招くのではないか。
 いや、もっと困難な事態になることも……
  ③稲などの種子が多国籍企業に独占されることになれば、日本の食料を支配されることにつながる。

 すでに前2回の記事でも紹介した『世界からバナナがなくなるまえに』(ロブ・ダン著、青土社、2017年刊)には、多国籍企業の凄まじいばかりの世界戦略が描かれていた。
 これら多国籍企業の<世界食料支配戦略>を前にしては、日本の大手種苗メーカーも成す術がないのではないか(野菜の種子はすでに90%が海外生産とも言われている)。

 国(および地方自治体)による公的資金での品種育成がなくなれば、それは食料安全保障の責任放棄といっていい。そのことが、ほんとうにわかっているのかどうか…政府筋ならびにお役人さんたちの頭のなかを覗いてみないとワカラない。

 1993年、全国的な冷夏に見舞われたときの宮城県で、冷害に弱い「ササニシキ」にかわって「ひとめぼれ」が農家を救ったことを、いまも忘れない人は多い。それが品種改良による「ひとめぼれ」の実力だった。

 気候変動の波はこれまでよりも激しくなるだろう、これからの地球環境を考えれば、冷害・高温耐性、耐病性などの新品種を用意しておく必要がある、それを企業まかせにしていいものだろうか。
 農業をビジネスとしてしか考えられない日本政府の発想は、どうかしている。

 そんな<日本の農>の将来を憂うる人たちが「日本の種子〔たね〕を守る会」を設立した。この会が目指す方向は、公的種子事業を維持しつつ民間企業の追加的参入も促していく、という。

 ぼくは、日本の「種子バンク」の充実を願う。
 <農を重視>する地方自治体のなかには、すでにその方向で、独自の動きを模索するところも見られるようで頼もしく、救われる思いだ。

◆やれロボットだ人工知能だ…と

 近ごろの報道を見ていると、「ロボット農業 目の前に」とか「無人トラクターの働く畑」とか、あるいは「ドローンによる農薬散布はもう珍しくもない」、これからは「人工知能(AI)でキャベツやタマネギの収穫がテーマ」だと、にぎやかなこと。
 いずれにしても、人口(とくにも働き手)減少を念頭に、人手に頼らない農業を目指している。

 日本の人口は、2050年には1億人を割り込み減少をつづける見込み。農業人口は現在159万人にまで減少し、平均年齢は67歳ともいう。
 なるほど、これはキビシイ。
 
 たしかに、それが現実だし、そこで高度なロボット化や、人工知能への依存度を高めたくなるのはワカル…けれどもだからといって、まるで「もう人はいらん」とばかりに無人化へ突き進むというのは、どういうもんだろう。「人で(手)無し」になって、どうするの!?……

 収穫ロボットや人工知能に、作物の実りの判断を教え、収穫時期の見きわめ方を学ばせる、そのもとは〝人の智慧〟でしょうに。たいせつな、その<半面>を忘れてほしくないな。

 こういうことです。
 人手がたりなくて困る大規模農業の場面では、ロボット化もAI化もいいでしょう、お進めなさい。
 しかし、<完全な無人化>には「待った!」をかけたい。
 人口は減っても、経験を積んだ年寄りは多くのこり、彼らには時間ができるんです。

 腰を曲げての作業など、身体に無理のかかるところは機械に補助してほしいけれど、経験がものを言う手仕事や判断能力のいる場面は、これからも人に任せてほしい。
 そうして、人生経験ゆたかな人と、ロボットやAIが<協働>できてこそ、未来型の明るい社会というものではないだろうか。
 
 どんなにその表面的なカタチはかわっても、だいじな根っこのところ、作物を育てる<生み幸人>と、その恵みに感謝していただく<食べ幸人>の関係がなくなったら、ヒトの地球はオシマイです。

 ……………想えば……………

 ぼくたちは、ずっと、大きなもの広い世界に憧れてきました。
 みわたすかぎり、いちめんの「なんとか畑」は、たしかに壮観ではあります…が。

 いま、想い出しました。
 『緑のそよ風』という童謡があったことを。
 あの歌詞に唄われていた<里山>の風景こそが、作物の恵みに生きる人の原風景ではなかったろうか、と。

  〽七色〔なないろ〕畑に 妹の つまみ菜 摘む手が かわいいな