どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「グロスミッチェル」バナナが、しかも国産で復活/温帯産でしかも東日本産となれば…まさしく救世主!

-No.1721-
★2018年06月08日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2647日
★ オリンピックTOKYOまで →  777日



*徳谷トマト(高知)の採取した種から芽生えた苗のその後。そのもとの、果実を贈ってくれた友が上京したので、育った苗とのツーショット記念撮影をねらっていたのだ…が。友の、その日のスケジュールに狂いがあって、訪問してくれたわが家での滞在、短時間におえて慌ただしいまま、ついにチャンスをうしなった。トマトについての会話は、彼が「皆が種を植えるようになったら徳谷トマト売れなくならないかな?」、ぼくが応えて「そんな手間暇かける人なんかそんなにないよ」、それでおわった。その後トマトの苗は、大型のプランターに選別&移植してすくすくと育ち、2週間ほどで黄色いかわいい花をつけ、いよいよ実りが楽しみになってきた。あとコワイのは、甘いトマトの夢<一代雑種>かぎりの期待はずれにおわること……。あっ、それと、6日に関東地方も<梅雨入り>しました。乾燥地帯が原産のトマトは雨季が苦手なんデス!*





◆懐かしの「グロスミッチェル」バナナ

 ぼくの父は、築地の前に魚河岸のあった日本橋の生まれ。
 しかも、のちに潰れはしたが砂糖問屋の末であり、そんな気分が趣味や言葉づかいの端々に垣間見える…という風だった。

 それで、贔屓にしたデパートが白木屋
 日本橋のデパートといえば、もちろん上流トップは三越がだったけれども、父にとっては白木屋のほうが魚河岸に親〔ちか〕しかったからだろう。

 その白木屋に買い物に出かけたある日あるとき、ボクは、のちのち「あのときはホント顔が火照っちゃったわ」と母に述懐させることになる事件を引き起こした。
 「ぼく、まだバナナ食べたことないよ」
 と、大声で叫んだ(ボクは生まれつき地声がでかかった)というのだ。
 (当人は、もちろんそんなこと覚えてもいないのだが…)

 いまの大賑わいするデパ地下の話しではない。
 おそらく昭和30年代に入ったばかりか、たぶんそんな頃、ボクは小学校の低学年。
 白木屋という日本橋のデパートには、エスカレーターなんて仕掛けの乗りものも初登場したばかりの頃だった。
 その1階の大フロアに、特設のバナナ売り場ができて、買い物客たちの耳目を集めていた。
 
 一等地日本橋のデパートの、玄関を入ってすぐの1階の大フロア、おそらく日時限定の特設売り場である。
 のちの「叩き売りバナナ」とはその品格、段違い、当時のバナナは高級品(ぼくは値段など知る由もない)であった。つまり、もっぱら贈答品であり、家庭では病気になったときにやっと食べさせてもらえるほどのモノだった。

 ……で、どうなったかと言うと、ふだんなら叱りとばされていただろうに、(アマイというかマケマシタというか)買ってもらえてしまったのであった。
 そのときのボクは、きっと、天にも昇る<こんころもち>だったにチガイなく。
 そのバナナ、「台湾バナナ」というのが、また、クリーミーでねっとりと甘い、夢のような美味しさ。いまも「忘れられない」という人が多いのもうなずける。

 そのバナナが「グロスミッチェル」と呼ばれる品種であった。
 おとつい、6月6日(水)の記事で紹介した本『世界からバナナがなくなるまえに』でも、栽培作物の危険な傾向を象徴する事件の主役になっている。

 この「グロスミッチェル」種の台湾バナナが、黴の一種「パナマ病」菌の蔓延によって壊滅的な被害をうけ、少なくとも市場からはほとんど姿を消したのが1960年代。だから、ぼくが食べることができたのも、ごく短い間だったことになる。

 いまでは、もう、よくは覚えていないのだが…その後、ぼくたち日本人の口に入るバナナは主にフィリピン産に置き換わって。正直、旨味は半減した…というか、すっかりバナナは別ものになってしまった。
 ゲンキンなもので、ぼくのバナナ好きも潮が引くように後退したのを、いま想い出す。

 それが「キャベンディッシュ」という別品種なのであった…とは、後になって知った。
 以下『世界からバナナがなくなるまえに』の調査および記述によれば、バナナ・プランテーションの経営者たちは「パナマ病」に襲われはじめたとき、その根本原因の根絶に立ち向かうことなく、即座に「グロスミッチェル」種を諦めて放棄、代替品種への切り替えに出た。

 その結果、「グロスミッチェル」に食味では劣る、なかでも「まぁまぁいいか」と許容され、ピンチヒッターに起用されたのが「キャベンディッシュ」種というわけだった。
 バナナ・プランテーション経営者のヨミは「消費者はいずれ馴れるサ」であり、それはザンネンながら現実になった。そうしていま日本は、主にフィリピンとエクアドルからの「キャベンディッシュ」バナナが頼りだ。
 いまの人は、こんな経緯、知る由もないから、気の毒に「バナナはこんなもの」と思っているだけ……

 しかも、その「キャベンディッシュ」にも、現在、「新パナマ病」という魔の手が襲いかかってきている。
 それは『世界からバナナがなくなるまえに』の著者が、つよく警告していたことだった……

 天恵の美味「グロスミッチェル」が倒れ、役不足ながらピンチヒッターに選ばれた「キャベンディッシュ」もまた病に侵されたいま、バナナの将来は不安がいっぱい。
 バナナが消えた食卓の不幸を想えば、気が重い。

 ……ところが、どっこい。
 思ってもみなかったところ、熱帯ではない温帯の、それも日本から救世主「奇跡のバナナ」があらわれた。
 それも、これまでの品種改良や遺伝子組み換え技術によらない、まったく新らしい品種改良法による。 

◆バナナにも氷河期を生き抜いた潜在力があるはずダ

 …という発想から、研究をつづけてきた岡山市農業法人「D&Tファーム」の田中節三(69)さん、この方が40年の歳月をかけて完成させた技術を「凍結解凍覚醒法」という。

 どういうことか。
 バナナなど熱帯の植物にしても、この地球上でこれまで生きのこってきたからには、何度かの氷河期にも耐えてきたはずだ。
 ならば、その秘めた性質をひきだしてやること、つまり疑似〝氷河期〟を体験させればいいのではないか。

 そこで。 
 バナナの根っこの成長細胞を-60度以下でゆっくり凍結し、180日間の氷河期を疑似体験させた後に解凍、この試練に生き抜いた苗だけを選抜して増やしていった。
 品種はいうまでもない、あのクリーミーな味わい甘い「グロスミッチェル」。
 開発者の田中さんも、子どもの頃に食べた「グロスミッチェル」バナナの味わい忘れられず、「あの味わいをもう一度、じぶんの手で栽培してみたい」と思ったそうな。

 こうして、西日本とはいえ真冬には雪冷えもする岡山で栽培に成功。
 成長が早く、香りもゆたかな高品質で、無農薬栽培だから薄い皮ごと食べられる、名付けて「もんげーバナナ」。
 「もんげー」は岡山の方言で「すごい」だから。
 もじどおり「すっげぇバナナ」の登場というわけだ。

 現在、出荷中の産地は中国・九州地方にかぎられるものの、栽培中・あるいは準備中の地域は関東の千葉から北海道にまで広がっている。

 まだ出荷量にかぎりがあるため、お値段は高め。<房>ではなしに<1本>買いで、600~800円くらいだそうだ。けれど、
 とにもかくにも食べてみたい、食べてからあらためて、もう一度バナナ談義を…… 

 ――次回、明後日には、大切な「種子」のお話しをしたいと思います――