どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

『世界からバナナがなくなるまえに』       ぼくたちはどうすればいいのか…

-No.1719-
★2018年06月06日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2645日
★ オリンピックTOKYOまで →  779日



*肥沃な「三日月地帯」というのが、古代オリエントの地にある。東のペルシャ湾からメソポタミア、チグリス&ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへといたる〝半月形〟に擬せられる地域です。そこは砂漠のなかのオアシス…その意味での<肥沃な>古代文明の栄えたところ。…その地域の多くの国々がいまは、混乱と闘争と困窮に苛まれている現実から、ぼくたちは目をそむけることはできません。*




◆地球人類はわずか12種類の作物によって生かされている

 すなわち、コメ(米)、コムギ(小麦)、テンサイサトウキビ(砂糖)、トウモロコシマメ(豆)類、ジャガイモヤシ(椰子)油、オオムギ(大麦)、キャッサバ(タピオカ)、ピーナッツセイヨウアブラナマスタード……

 これは、「世界におけるカロリー消費の割合(動物性食品を除いた場合)」を作物ベースでもとめた統計の結果である。これによると、世界人類が植物性食物から獲得しているカロリーの80%は、わずか12種類の、90%は15種類の植物に由来している。

 著者ロブ・ダンは、この状況を「限られた食物への過度の依存」と断言し、それが「地球の風景を単純化してきた」、「現在では野生の草原よりトウモロコシ畑のほうが、総面積が広い」と、まさに天を仰いで長嘆息する。「これまで科学者は、30万種を超える植物を命名し研究してきたが」と。
 
 この書『世界からバナナがなくなるまえに』(青土社、2017年刊、高橋洋訳)のサブタイトルは<食料危機に立ち向かう科学者たち>、著者のロブ・ダンは進化生物学者(ノースカロライナ州立大学教授)である。
 ……とくれば、もう、たいがい察しはつくだろう。

 いつもテーブルにある、いつもの食べものが、いつか消える日が来る、しかも突然に。
 「飢饉」はこれまでにもあったし、これからもありつづける。これまでは、きわどい瀬戸際で、世界規模の「飢饉はなんとか阻止」できてきたけれど、これからもうまく阻止していける保障はどこにもない。

 ……………

 多くの動物は、食物の量によって繁殖をコントロールされてきた。幸い豊富な食料事情に恵まれたときには、生殖に励んで個体を増やすことができる。
 人類は、与えられた頭脳と経験によって、さまざまな食物の摂取に励み、圧倒的な個体数を誇示する成功者となったわけだが、それでも食物(カロリー)による繁殖のコントロールからは逃れられない。

 そうして人類はいつか、この「食料と繁殖」という根本のルールから逸脱。
 人口の増加を賄うための食糧増産にひたすら励むことになり。
 進む道は、食味の好さと多収穫を追求する品種改良、より優れた作物品種への<単一化>にしぼられていく。
 この道<集約化>の先にあるのは、農耕農地の大規模化であり、巨大なアグリビジネス化だった。

 だがしかし、生物である作物に<病虫害>はつきもの。
 品種改良によって<耐性>を獲得させることはできるが、ザンネン、それとてけして万能ではない。
 逆に、この<耐性>の城門を突破する<病害虫>があれば、<単一化>された広大な農地は悲劇の舞台となるしかない。それが<同時多発>すれば……

 <生命の仕組み>に関心のうすい人々は知らない、<耐性>を獲得するための<品種改良>には、多くの野生種の存在とこれらの掛けあわせ、さらには歴代の改良品種も加えた膨大な組み合わせが、これは相手(病害虫)も進化していくのにあわせて、果てしもなく遠い道になる。

 品種改良の掛けあわせには、リクツではない、現物が必須だ。
 「種子バンク」は博物館ではない、<命の貯蔵庫>である。

 多くの(人口比にすればごくわずかな)科学者たちが、この「作物壊滅」の危機に立ち向かい、苦闘をつづけてきた。<命の貯蔵庫>の維持にも、絶えざる研究の継続にも、多額の費用を要する。
 しかし、世の(無知による)無理解は、この努力に対する支援に熱心ではないから。研究の成果はもっぱら、莫大な研究費をつぎこめる巨大多国籍企業の所有に帰していくことになり、その巨大企業は自社の利益にしか目を向けることはない。

 ……………

 この本は、「第1章 バナナを救え!」から「第16章 洪水に備える」まで、以上の汎世界的なこれまでの軌跡と現状を追跡、詳細に分析する。
 ちなみにバナナは、前記カロリー提供作物の上位15位内には入っていないが、16位の位置は重要作物のひとつといっていい。

 日本でも、いまや輸入作物(フルーツ)の定番だし、欧米のテーブルにもかかせない食品、熱帯亜熱帯地域の人々にとっては煮炊き料理で味わう主食級の作物だ。
 このバナナも現在、大規模栽培されている「種なし」種は、突然変異に由来する遺伝的には単一のクローン品種。繁殖は<株分け>によるしかない。

 また、この本ではとりあげられていないけれども、日本伝統の主食「コメ(米)」についても事情は同じ。
 じつは、食糧事情に関心をもっているボクなども、温帯モンスーン地帯にある日本ほど「多様な作物に恵まれた国はない」と、こころひそかに信じてきたところがあったが、基本的には他の国々と同じ、画一化と多収穫志向の渦まく波のなかにあり、ひとり桃源郷にいるように思うのはとんでもない錯覚、そう〝マチガイ〟でしかないのであった。

  ……………
 
 この本は、最終章「エピローグ――私たちはなにをなすべきか」で、語りかける。
 「科学者たることは、知られるべきことのほとんどがまだ知られていないということを知ることでもある」と。
 (これは、ほとんどの科学者、いや、広く知の世界の人が痛感していることに違いない)

 そうして、「私たちにできるとても単純なことがある。」とつづける。
  ①食物を無駄にしないこと
  ②肉をあまり食べないこと
   (そもそも肉食は、動物の飼料になる植物に依存する。まれな例外を除けば、肉食は菜食に比べ、ほぼ常に食物資源の浪費だと言えるから)
  ③地元産の食物を消費(ぼくはそれを〝食べ幸〟と称する)し、先祖伝来の種子から育てられた作物や生態系を考慮した農業システムによって生産された食物を選択しよう。
  ④子どもの数を減らし、食物がだぶついている国に住む人は、食物システムが崩壊した国からやって来る難民を歓迎しよう。
  ⑤作物畑を所有している人は、日々の体験や発見を研究機関に報告することで、害虫や病原体の研究に貢献できる。
  ⑥では、作物畑どころか庭さえ持たない人、あるいは、庭にかろうじて鉢植えを置けるくらいのスペースしか持てない人(著者もその一人だ)には、なにができるか? とにかくまずは、なにかの作物(できれば種子から)を植えてみること。そうすれば何か新たな発見をすることができるかも知れない。

 ……………

 気がついたのは、ぼくたちも⑥の人。
 そうして、ときには忘れたりなんぞもしながらだけれども、①や②や③にも気づいている人たちだ。
 少なくともそれは、恥ずべきことどころか、褒められるべきこと。できれば、もう少し先を歩いてほしい人たちの一人だということ。

 この稿を書くうちに、このテーマで、もう2回ほどは、書いておく必要があることに気がついた。

 ――明後日(6月8日)に2回目をお届けします――