どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「お二人さま」の「連れあい」入院さわぎ……   そこから学んだこと

-No.1717-
★2018年06月04日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2643日
★ オリンピックTOKYOまで →  781日



*「世界遺産」にならって「世間遺産」というのが生まれてきた、という。「語呂合わせ」だが「パロディー」とはちがう、おもしろマジメ。知らなかった。誕生は04年。きっかけは常滑(愛知県)の市制50周年記念事業のとき、取材に訪れた「地域交流センター」の女性スタッフが、「焼き物の町」のごくありふれた風景に感動「ここには遺産がいっぱいですね…そう、世間遺産ですよ」と。地元では気づかない良さを旅人から知らされる、ことはよくある。立場はちがうが旅人のぼくにも、このような体験すくなくない。…が、こうした感想やアイディアの種が芽を吹くかどうかは、受け手の感性にかかっている。常滑市には、これを活かそうと気づいた人がいた。「思わず人に伝えたくなる」「後世まで、子どもたちに、のこしたいと思う」……「人・もの・風景」を「世間遺産」に。同じころ和歌山の熊野古道地域にも「世間遺産」イベントのうごきがあって、連携が誕生。ユネスコがきめるのが「世界遺産」なら、市民がきめるのが「世間遺産」というわけだ。どういうんだろう、この話しには<ほっこり>癒し効果があって、なにしろ思いっきり気もちがイイ!*




◆ヒシヒシと身に迫る

 「ひしひし」
 漢字で書くと「緊緊」あるいは「犇犇」。「隙間なくぴったり寄りつくこと、また、そのような状況で押されて鳴るさま」を言う。
 冨喜兵衛(かみさんのこと、人生のこの上なき伴侶への愛称)の入院で、沁み沁み実感させられた。

 「動悸が(つよく)する」ので、かかりつけ医に診てもらったら、「ひどい不整脈(心房細動)」だというので大学病院のER(救命救急室)を紹介され、車で連れて行った。
 6年前を、想い出す。

 同じ症状(こんどよりも重く歩行もままならないありさまだった)で、診断は「僧帽弁および三尖弁閉鎖不全症、そして心房細動」。「人工弁置換術」が予定され、即、集中治療センターに入院。
 人工弁にする場合、「機械弁」にするか、「(ブタさんの)生体弁」がいいか、の選択もさせられて…。

 開胸手術には、予定どおりの約6時間を要し、晩夏の陽も暮れた頃に無事、終了。
 「うまくいきました」執刀医のひとことにズシリと重みがあって、「縫合することですみました(人工弁は必要なかった)」のコメントに感動させられた。
 (なにしろ、手術前の説明からは…弁の状態はボロ雑巾みたいなもの…と思われていたのだから)

 しかしながら、このときの手術にあたっては、患者本人にもボクにも執刀医に対する信頼感が心底にあったから「まかせよう」気もち。ただ、なんといっても患部が心臓ということで、万が一の心配は小さくなかったのだけれど、それも無事すんでしまえば晴朗な開放感にひたるのみ。
 
 ぼくたちに、これほどの信頼感をあたえたものは、執刀医の、医術に対する自信と人柄、くわえてそれを伝える説得力の深さにあった。医療は日進月歩している、この医師はそれを体現している、と思えた。
 これは患者にとって、なによりダイジなことである。

 入院は2週間ほどにおよんだが、付き添うぼくも、さほどの心労は覚えずにすんだ……

◆こんどは前よりカルイのではないか

 じつは、ぼく、勝手にそう決めていたフシがある。
 前と同じ大学病院、こんどの担当医も前の信頼した執刀医と同じながれを汲む人……

 症状の説明を聞いての、ぼくたちの解釈によれば。
 心房細動をなくすため、不整脈に関係する心筋(=異常電動路、複数存在するらしい)を高周波によって焼灼する術を行う。この「カテーテルアブレーション」術によって、不整脈の根治が期待できる。

 その施術が必要なわけは、心房細動がつづく影響で血栓(血の塊)ができやすくなること、その血栓によって脳梗塞など重篤なリスクが高くなること、「カテーテルアブレーション」術はそれらの要因をとりのぞくものであること。

 なんでも、心房(左にも右にも)の前方には「心耳」と呼ばれる窪みのような部分があって、そこでは血液の流れがゆっくりになるため血の塊=血栓ができやすい、できてしまった血栓はどこであれ、ゆゆしき動脈塞栓をひきおこすことになる、ということらしい。

 ぼくも、その情報は最近になって入手しており、それによると、心臓でできる血栓は血管でできる血栓(2~6mm)にくらべて遥かに大きい(最大級は3cmとか)から、影響も甚大だという。

 ともあれ、当初は順当なら3泊4日の入院、手術も3~4時間の予定。
 それが、事前の詳細な検査結果から、見こみより軽くはすみそうにない(手術時間もおよそ5~6時間とあらためられた)ことが知らされ…けれども6年前からひきつづく信頼感に守られ…あんがいに早くすむかも知れない、と呑気なものだったのだ、が。

◆6年の歳月を思い知る

 朝9時に手術室に入ってから後、待つ時間のまぁ呆れるほどに長かったこと!
 昼になっても、午後になっても待機がつづくうちに、ぼくの疲労感は意想外に濃く、深いことを思い知らされた。
 (まんがいち…)の想いが去来するたびに胸が塞がるようで、弱気の虫が憎たらしくモゾモゾし始めるのに、ただただ手を焼いていた。

 これすべて、6年の歳月であった。
 あのときは60代後半、いまは70代に入っている。
 心身ともに、あらゆる意味で、「ナニを…まだまだ」の気力が薄れてきているのを感じる。
 これにはマイッタ。

 午後3時にいたってやっと手術室の扉が開き、かみさんはまだ麻酔から覚めやらぬ微睡みのなかながら、無事に生還。
 執刀医からは、6年前の手術あとはシッカリしていたこと、こんどの手術も大丈夫うまくできたこと、を告げられて。ホッとすると同時にドッとおしよせる疲労感に、すぐにもベッドに転げこみたい誘惑にかられる始末だった。

 もともとがボクは「生活の人」。
 なみの人よりは、家事に対す見識もあり、行動もともなう。
 ふだんの暮らしぶり基本としては、共働の分担、かみさんが家内およびソフト面、ぼくが外まわりとハード面、ではあるけれど、料理・洗濯・掃除などの家事ひととおりはこなせる。
 にもかかわらず、この間(入院中)は、かみさんが作り置いてくれた食品に頼って、味噌汁はインスタント、あとはレンジで「チン」ばかり、包丁を手にすることはほとんどないという…情けないばかりの体たらくぶりであったのダ。

 なるほど、技術的にはいつでもイケルとわかっていながら…けれども、なんとしても往年のようには気力が奮い立たないから、どうしようもない。つくづく人間、気分しだいの生きものだと思い知る。

 手術は成功、にもかかわらず原因不明の発熱があって、入院が5泊6日に延びる間に、ぼくの生活人エネルギーはついに枯渇しかけた。不覚…の思いに、心が震えた。

 退院の日。
 助手席のかみさんとの会話も自然、そのことにつきた。

 老々介護の認識、ぼくらの場合もまだまだ甘かったことになる。
 心得も、対処法も、再検討・再考の要があった……