どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読んだ

-No.1713-
★2018年05月31日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2639日
★ オリンピックTOKYOまで →  785日



*5月25日(金)。6月12日に予定されていた初の米朝首脳会談を、アメリカ側から「中止する」と公表されたと思ったら。すぐに、こんどは北朝鮮側から会談実現に意欲的な動き…と。めまぐるしい。当事者はもちろん周辺にも思惑あれこれ、とうぜんながら。これだけはタシカなこと、をおさえておきたい。支持者たちからのノーベル平和賞うんぬん騒ぎで舞い上がりかけたトランプ大統領を落ち着かせ、冷静にさせたホワイトハウス周辺者の知性はさすがだ…けれど、拭えないのは「世界をリードしていくのは自分たち」だとする、アメリカ人の高慢な性情、これだけは彼らもまた同じ、かわるところがない。すでにそんな世界でもないのに。いっぽう、北朝鮮が本質的に「核を放棄する」ことなどありえない。体力に劣るものが、それを補うための武器を放棄すれば、<体制の保障>など絵に描いた餅にすぎない、ことは分かりきっているのだから。そうして、つまるところ、たとえ見た目とは違っても最終的に、エリートが、地に足の着いた民衆に勝ることなどありえない。いずれ北朝鮮が核を放棄することがあるとすれば、それは<北風と旅人>ではなく<太陽と旅人>の関係に立ちいたれたとき。*




◆著者は「ノスタルジアの魔術師」

 …だそうな。
 ぼく、彼女の本を読むのは、これがはじめて。

 2017年度の<直木賞>と<本屋大賞>と、ダブル受賞は史上初とのこと。
 500ページの大作、ベストセラーの本でもある。

 もう、さまざまに論評・感想はあったことだし。
 あえて付記することもないわけだ、けれども、読む気になったワケは言っておきたい。

 戦後すぐ産まれのボクの世代は、ひっくるめて音楽的ではない子ども時代をすごしたから。
 関心はあっても、それは<蜜蜂>でなく<遠雷>の次元のことだった。
 
 父が家電の会社員だったから、ステレオもレコードもあるにはあった…程度で。
 お父さんがクラシック・ファンで、レコードと本とにかこまれた生活だったという、恩田さんの環境とは雲泥のちがい。

 ぼくの音楽知識のとぼしさ、一例をあげれば、「ピアニシモ」と「フォルティシモ」、どっちが「よわく」でどっちが「つよく」だったか…という程度のものだ。
 「習いごと」は人なみ以上にさせてもらったけれども、小学校の同じ教室に、楽器を習っていた子(ピアノかバイオリン)は一人か二人、数えるほどにすぎなかった。

 そんな来歴のボクだったから。
 ご自身も楽器を演奏し、なかでもピアノの音が大好きという方が、クラシック音楽をどのように文字表現されているのか、興味がわいた。

 ……………

 お話しは、あるピアノコンクールを舞台に、そこに競演した3人の若きコンテスタント、それに「コンテスタント年齢制限ぎりぎり」の一人を加えた、それぞれの音楽家、人物群像の物語。

 コンクール第一次予選から本選まで、緊張の流れをそっくりいただいた構成もみごとなら、曲名や音楽用語を巧みにつかいわけた小項目も技あり、口語や俗語を適当にあしらった人物表現、段落ごとの2行空きも自然に流れがあった。

 はじめ、「ノスタルジアの魔術師」とはいえ、このテーマで長編はどうか…と思え、じっさい後半くるしくもなりかけたけれど、本選にいたってテンポよくたたみかけ感動場面に仕上げた、ダブル受賞作の出来栄えはさすがだった。

 この作は連載ものを下敷きに、大幅に加筆したものと知ってナットクがいったし。
 なによりウレシかったのは、音楽のもとは自然にあったもので、それをこんどは、あらためて自然に還したい、とする、作者の主張(……)。
 それは、ボクの思いに直に通ずるものでもあったこと。

 <直木賞>というものが、また<本屋大賞>というものが、よくわかった作品でした。