どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

タコの身肉の潔いあじわい

-No.1711-
★2018年05月29日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2637日
★ オリンピックTOKYOまで →  787日



*日大のアメフト(アメリカンフットボール)選手が、監督・コーチの指示とはいえ、伝統の定期戦で、相手の関西学院大選手を悪質なラフプレー(反則)によって負傷させたことを、記者会見して詫び、「ぼくに(アメフトを)つづける権利はない。この先やるつもりもありません」と語った。(………)。完璧に対処をミスった指導者層こそが、その恥をこそ知れ。日大最高上層部もふくめての総退陣あるのみ、それくらい罪は重い。(………)。ぼくは高校時代にバスケ選手の経験がある。ある大きな大会、有名校との対戦で、完全に翻弄されたボクらのチーム、押しまくられる試合展開のなかで、苦しまぎれのボクの防御の手がそれて相手選手の顔面をまともに直撃、音高く張り飛ばすことになってしまい、誰よりもボク自身が吃驚仰天。(ハズミだった、けれども)一瞬、息を吞んだレフェリーに笛を吹かれるより早く、即座にボクは手を上げてレフェリーと相手に詫び、みずからコートの外に出た。そうするしか、ほかになかった。頭も手足もガ~ンと痺れた、完璧にアウトだった。(………)。アメフトはどういう競技か。プレーの激しさゆえにヘルメットとか肩あてとかの〝防具〟を必要とする。〝防具〟は〝防具〟にとどまらない。並はずれた相撲の〝肉体〟とかわらない。ボクシング選手の〝拳〟は〝凶器〟とされる。それらとなんら変わるところはない。その、どこかに、〝驕り〟と〝優越感〟の同居する〝隙〟がある。ぼくはアメフトの競技を知ったときから(うっかりするとコワサれる)コワイと思っていた。関係者は、そう思われるスポーツだと、深認識することから再出発しなくちゃいけない。(………)。*




◆タコの季節がはじまる

 先日、デパ地下の鮮魚コーナーで、生のミズダコの薄くスライスされた刺身の「うまそう」なのに出逢って、買って帰った。しかもそれが、思ったよりも上等な味わい、舌が小躍りした。

 ぼくは「目利き」の域には遠くおよばない、けれども、海産の、ことにも生食ものとの<出逢い>を見のがさない、勘ばたらきの佳さには、ちょっとばかりうぬ惚れている。

 魚の刺身とは、ちとチガって、生のタコ刺しの引き方は(別に「タコ引き」なる包丁もあるくらい)むずかしいから、その刺身の、清新な包丁のあとも気に入ったからだった。

 ……………

 タコのなかでも、マダコの仲間の「ミズダコ」がひときわ愛おしいのには、別な理由もおおいにある。
 それは生態紹介のドキュメントムービーを観てしまったこと。
 ひと目ぼれに惚こんだ。

 ミズダコのメス(ほかのマダコ科の仲間たちもそうなのだろう)の、愛情たっぷり細やか気くばりの育児ぶりが素晴らしかった。
 しかも、なんとマダコ(約2ヶ月)の5倍(約10ヶ月)もの歳月をかけて育むのだそうで、太やかな8本の触腕(俗には足)の連携、みずぎわだった波のうごき絶え間なく、卵に新鮮な海水を贈りつづける。

 それも、繁殖は一生に一度、という。
 メスは卵が孵化すると間もなく死をむかえる……
 したがってミズダコの仔は、親を知らずに育つ。

 ミズダコの父親(オス)にしても、どれほど生きるものかは未だ知られてはおらず、メスの一生と大差ないことが予想される。

 ……………

 どうです。
 タコのイメージが、かわりませんか。
 ついでに、「ミズダコ」は「水っぽいタコ」だなんて、思いこんだりしていませんか。
 そうです、ミズダコの身肉、あれは潔いあじわい…というものです。

 ……………

 軟体動物のタコは「頭足類」と呼ばれる。
 同じ頭足類のイカを見ると、よくワカル。頭が(胴体をはさまず)直に足(腕?)とつながっている。
 タコの場合、丸い坊主頭のようなところが胴体で、足の付け根にあって眼や口(くちばし)のあるところが頭にあたる、が、一般家庭でタコの姿を丸ごと知るチャンスはきわめて少ない。

 じつは、同じ頭足類のタコとイカ、他のあれこれでも好対象の存在と言っていい。

 まず身体の柔らかさ。これはタコが勝る。
 全身で固い部分といえば先述した頭部だけ、なので、ヒジョーに狭いところでも通り抜けられる。イカも軟体ではあるけれど、胴体にタコほどの柔軟性はない。

 タコの体はほとんどが筋肉で、ときに強力を発揮する。
 (俳人楠本憲吉さんは、編著『作句歳時記』のなかで「その吸い付く力は相当なもので、海女などは吸い付かれたら、無理やり離そうとせず、吸い付いたタコの脚を切って逃げるのだという」と、呆れていた。)
 しかし、タコの身肉の繊維は切れやすくできているので、存外に柔らかく、これに比べるとイカの繊維はなかなか強靭だ。

 吸盤にしても違いは大きい。イカのそれが微細ではあっても鋭利な歯をもつのに対して、タコの吸盤はそれがないうえに、食感もすぐれている。

 「墨が食用になるのはイカ」と一般にはイタリア料理などで思われているようだが、これもけっして「タコの墨が食用にならない」わけじゃない。むしろ、タコ墨のほうが旨味成分に富んでいるのだ、けれども、墨の量が少なく採取もしにくい、それだけのこと。

 もうひとつは、知能。
 イカもあれでなかなかの巧者・曲者だけれど、タコに与えられた「もっとも賢い無脊椎動物」の評価にはおよばない。タコには「形を認識して記憶する能力や、学習して問題を解決する能力」が認められるし、記憶力もかなりあるといわれる。
 人間が割って捨てたココナッツの実の殻をつかって、器用に住まいにすることも知られている。

 タコの弱みは、その血液が青く見える原因物質のヘモシアニン。
 この物質は、ヘモグロビン(血色素)にくらべて酸素運搬能力に劣るため、長距離を高速で移動しつづけるのは無理、という。
 (イカもヘモシアニン系に思えるが、やっぱりご同類なのだろうか?…)

 食物連鎖におけるタコの位置は、捕食者としてほぼ中間くらい、といったところか。
 好物は甲殻類や二枚貝といわれるが、なんと八割が蟹食という報告もあって。
 捕まえたら、もちまえの筋力にものをいわせるのかと思いきや、カラストンビの口から唾液を蟹の体内に注入、これが蟹の殻から身をはがす役をする。それで、キレイに身を食べ尽くせるのだ、そうな。
 タコの身肉に感じられるほのかな甘みは、カニ食のせいかも知れない。
 (逆に、タコの天敵はウツボやサメ、タイなど…ただし逆襲のケースもある)

 さっき、タコの身肉の<ほのかな甘み>と言った、<潔いあじわい>とも言った。
 タコは、ヒトの食の中心にはない、けれども、さりげなくいつも脇にいる。
 低カロリーで、タンパク質のとくにタウリンに富み、その身肉には稀少栄養素の亜鉛も多く含まれる。

 このタコが美味くなるのが、これからの夏場。それは、産卵期が春から秋にかけてだから、だろう。
 この時期の美味いタコを俗に「麦藁蛸」とも呼ぶ。「麦藁ダイ」といったら産卵後の味が落ちたタイのことだけれど、「麦藁蛸に祭鱧〔はも〕」の表現は逆に、味がのってオイチイ意味になるのダ。

 ところで……
 世界にはタコを食べない、あるいは食べられない民が少なくない。
 ボク思うに、それはやっぱり第一に8脚の所為だろう。
 いや、それがあくまでも8本の「足」と思えれば滑稽味もあって愛嬌なのだが、どうも「腕」に思えてしかたがないからコマリものなのではないか。
 あの、てんでんばらばらに動きまわる8本の腕に吸いつかれでもしたらたまらない。
 
 北欧伝説の妖怪「クラーケン」にしても、あれは「足」ではない、あくまでも「腕」と解釈されている。
 これは日本の「衣蛸」伝説にしても同じである。
 これはきっと……
 「足」はせいぜいが蹴るくらいのことで、あとは逃げるしかないわけだが、「腕」となれば絡みつき命を締めあげてしまうこともできる…そう想像されるからにチガイない。

 ともあれ、ユダヤ教では食べてはイケナイ「鱗のない魚」にあてはまり、日本の食卓にのるタコはアフリカ産が多いけれども産地のモーリタニアの人には食べる習慣がない、アジアでもインドでは食べないし、中国料理の伝統食にもタコ料理はない、などなど。
 海産資源の争奪あらそいが激しくなるいっぽうのいまどきは、一面アリガタイような話しではある、が。

 さて、これから先、世界の食はどうなっていくのだろう!?

 いっぽうタコ漁は、いまも「蛸壺」がハバをきかせているけれども、それもタコの学習能力からすればいずれ、蛸壺を回避するように進化するのではないか、そんな気もしてしかたがない。