どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「くらやみ祭り」に府中が湧いた<暮六つ>

-No.1703-
★2018年05月21日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2629日
★ オリンピックTOKYOまで →  795日

 おはようございます、おげんきよう、<なっつまん>です。


*やりきれない(…)想い、またひとつ。51年前に、東京の順天堂大学順天堂病院でおきた赤ちゃんの<とりちがえ>事件(ですよね、明らかに)。「自分は誰、ほんとの親はどんな人」と(なんとかしてほしい)思いを訴えた当事者の男性があって。けれども、順天堂病院では、その事実があったことは認め、謝罪はしたものの、判明した相手方の現在の<平穏な生活>に配慮して<実の子>の存在を伝えることはしない…という。あれやこれや、厄介瑣事はあるだろう…けれども、ここでも、なにより大事な<ヒガイシャのため>の配慮がどっかへ消し飛んでしまっている。民心から離反することの多い裁判だけれど、ほかに救済の手をさしのべる<法>も<方>もないなら、裁判所のひとつでも、裁判官のひとりでも、弁護士のひとりでもいいから、<人智の叫び>の声をあげてほしい…! きっと民心はうごきます。*














◆遠い〝歌垣〟の世界へ…

 5月5日(土)こどもの日。
 立川での上映会と座談会のあと、府中へまわった。

 祭り好き。大國魂神社の「くらやみ祭り」、見のがせない。
 4月30日(月、振替休日)から始まったことしの祭りは、5月3日(木、憲法記念日)からがいよいよ民衆催事の華ざかり。

 この日は、夕方6時の花火を合図に「くらやみ祭り」メインの神輿渡御がくりだす。
 神輿渡御を「おいで」と呼ぶのは、神さまから「おいで」とおゆるしがでる、それをよろこんで氏子仲間が参集する<心意気>であろう。

 府中の町に入ったのは、5時半くらい、時もよし。
 臨時の出店で買った缶ビールを片手に、神社境内から京王線府中駅へと抜ける本通り参道に陣どって、<暮六つ>を待つ。

 「くらやみ祭り」のふれこみだが、春もさかりの陽はやっと傾いてきた頃あい。
 空は、「誰そ彼(たそがれ)どき」とか「彼は誰(かわたれ)どき」と呼ばれるふんいきに暮れなずむ、けれど、それを早めに察知して灯る街灯が宵闇の訪れをおしのける。
 これでは、むかしの「逢魔が時」も出る幕がない。

 沿道、歩道の敷物に早くから陣どったどこかの若手社員グループ、どの顔もすでに酒に煽られ火照ってきている。無造作に投げ出した女子の脚がまぶしい。

 ……………

 やがて、遠くで花火の音がする…と、沿道の観衆ももぞもぞ動きだす。
 いつのまにか交差点付近に出張って来ていた氏子衆が、これから神輿の迎えに境内へと出向く。
 もったいぶるわけではなかろうが、神事は厳かにしずしずと進む。「おいで」行事に沿道が湧きかえるまでには、まだ30分くらいはかかるだろう。
 陽はまだ空にのこって、夕やけてきていた。

 「くらやみ祭り」というのは、もともとはほんとうに夜、闇のなかでおこなわれた行事。
 古来、広くアジア地域に分布して見られた「歌垣」の風習からおこったもの、と言われている。
 「歌垣」は若い男女にゆるされた求愛の予祝行事で、当夜は、男女一緒になって飲食しながら、おおらかな歌声を掛け合ったものらしい。
 いうまでもなく、そこからはいくつものカップルが生まれては、夜の闇にまぎれこんでいく……

 その頃の「くらやみ祭り」の、熱い闇の空気をぼくは想いみる。

 明治の世になって、この淫靡な風があらためられて、現在の夕刻の催事になっとものである。
 ちなみにぼくは、これが3度目の大國魂神社詣り。最初の一度は、毎年7月20日の「すもも祭」に、このときは五穀豊穣と悪疫防除の名高い護符「からす団扇」をいただくため。
 (この頃は、アウトドアライフに夢中な頃で、火おこしのアイテムに粋を気どったものだった…)

 もう一度は「くらやみ祭り」だったが、そのときは暗くなるまで待ちきれず、参道の店で酒に酔って帰宅。したがって、神輿の「おいで」を出迎えるのはこれがは初めてだった。

 沿道の観衆が、揃って首をのばして、遠い…暗くなった境内の方をのぞき見ようとする。
 先ぶれの、「くらやみ祭り」名物の大太鼓の、腹にこたえる全身全霊こめた打撃音が響いてくる…けれども…行列はなかなかに近づいてきてはくれない。
 大太鼓を曳く屋台は、途中、横町に折れ行って、町内こまやかに祝福をとどけてまわってくる。

 花火の合図から1時間以上が経過して、やっと大太鼓がやってくる。
 太鼓の叩き手は、両手に太めの野球バットみたいな棍棒を握りしめ、直径おとなの身の丈以上もある強張りの太鼓めがけて、挑みかかるように叩きつける…そのさまに、沿道の観衆がざわめく。

 大太鼓の上には講中の世話役が立って、叩き手を鼓舞がごとく、煽るがごとく、長提灯を提げて誘いかける。
 叩き手の年齢、あきらかに高齢化の渦中にあって、いずれも力自慢とはいえ、「後の祭り」が案じられるばかり…のなかに、肉〔しし〕おき逞しい女性が立ち混じって、やんやの喝采を浴びていた。 
 こんな大太鼓が都合6張り、年に一度の「このときとばかり」に、あちこちで観衆の歓呼にこたえて動かない。その轟音に町中がふるえている。

 つづいてこれも大きな神輿が8基ばかり、白丁の担ぎ手の肩に揺られて「おいで」「おいで」と参道を行ったり来たり…。やはり、担ぎ手に若手の多い神輿ほど勢いがあって頼もしく、御旅所までの道中、なかなか先へは進まない。
 一夜明けて明日の4時には、神輿は早朝の町を練り、境内に還って祭りはおわる。だから、これ、今宵がことしの「おいで」〆……なのである。