どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「京から紙」のもとは「嵯峨本」用紙にあり/   それは『唐紙~千年の模様の美~』から始まった…②

-No.1691-
★2018年05月09日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2617日
★ オリンピックTOKYOまで →  807日

 おはようございます、おげんよう、<なっつまん>です。

*インターネットを利用するとき、本人確認に必要でメンド―このうえない〝符号〟の「パスワード」(おまけにIDなんてのまであったりして…)。そのメンド-な理由は、もっとも覚えやすい<誕生日>や<姓名>などワルに類推されやすい文字列を避け、<使いまわし>を避け、さらには<定期的な変更を求められる>ことだった。…それがナントこのたび、<定期的な変更は不要>になった、という。しかもレッキとした総務省のお墨付きでアル。理由がオモシロイ。ユーザーの多くに、このパスワード義務がメンド―になり、パターン化や使いまわしのケースがふえた。それがために、かえって<ワルに読みとられる>可能性が増してしまったからだ、と。そうでしょ! そうなる事態は初めっから、充分すぎるほど予測できたはずなのに……ネ。*



◆「京から紙」と唐紙師「唐長」

 前回7日(月)の記事①でもふれたとおり、「唐紙」には「京から紙」と「江戸から紙」とがあって、『唐紙~千年の模様の美~』で紹介されているのは、いうまでもない「京から紙」の話。

 「京から紙」のふるさとは洛北、北野。
 鷹ガ峰から流れ、やがて桂川に合流する、支流域の河畔にあった。その川の名「紙屋〔かんや〕川」が紙漉き事情を語っている。

 やがて「京から紙」の主流は、東洞院通り沿いの中京・下京あたりへ移っていくのだけれど、主に雁皮紙の「鳥の子紙」に木版で模様を施したものが「から紙」と呼ばれ。
 この木版印刷技術の集積が、やがて「江戸千代紙」へと受け継がれていくことになる。
 
 「から紙」づくりの技に熟練した者を「唐紙師」と呼んで、元禄時代の京には13軒の唐紙師があったという、が。
 そのうち、現在もつづいているのは「唐紙屋長右衛門(=唐長)」のみ。
 『唐紙~千年の模様の美~』は、その、すでに連綿300年を超す「唐長」11代目、千田堅吉さんの仕事話である。

 「京から紙」の模様には、「公家好み」(青海波など、主に有職模様)、「茶道好み」(桐や松など、主に植物模様)、「寺社好み」(雲に鶴や竜、ほかに植物模様など)、「武家好み」(市松や亀甲など整然として堅調な模様)、「町家好み」(慎ましさをもちながら琳派の装飾性と洗練美をそなえた、紅葉と流水のような模様)の別があって、それがまた、それぞれの部屋のもつ役割や雰囲気を決定するほどの格式をそなえてもいた。
 
 じっさいに、その「好み」のいちいちを紹介されて見ると、たとえばボクの趣味に適うのは「武家好み」か「町家好み」で、けして「公家や茶道や寺社好み」にはならないことが判然としてウーム…思わず唸ってしまうほど。
 これも歴史の成せる技とはいえ、ふと、ちと、怪訝でもあるのだった。

 「唐長」の千田さんのもとには、これら様々な意匠「好み」の、朴の木に彫られた版木が650枚(種)ほどのこる(跡が絶えた唐紙師の家は火災などで版木を失っている)。
 1枚の版木は、いまの用紙規格寸法でいうA3より、ひとまわりくらいの大きさ。襖の大きさにするには、この版木による印刷を何度か繰り返す。
 こうして唐紙の柄が刷り出される。

 「京から紙」の技法の特徴は、なんといっても「きらら」づかいに尽きる。
 地紙に礬水〔どうさ〕引き(ニカワの液にミョウバンを少量くわえたもの)で顔料あるいは染料を染ませた色紙に、雲母〔きら〕でパール色の光沢ある模様を付けていく(のちには金泥も用いられた)。
 この「きらら」が<はんなり>(量感をたたえたふっくら感)と目に映るのは、いうまでもない、その昔の灯心明かりによる効果だ。

 「唐長」11代目の千田さんの手で、つぎつぎに産みだされていく、色紙に「きらら」模様の「京から紙」を見るうちに、ぼくは(……)
 いつだったか(記憶は遠い)、どこだったか、博物館か美術館で見た記憶の糸に、しかしグイグイとつよく引き寄せられる。

 すると。
 「嵯峨本」の名称が、啓示のごとくひらめく。

 いや、もうひとつあったな。
 そうだった。
 父が親しんだ謡曲の、古い時代の上製本にもたしか、この「きら」刷りのものがあった。それを、幼い日、父に連れられて見たのもガラスケースの向こう。
 じっと見入っていた父が、ほっとついた小さいため息が、その映像が脳裡をよぎる。

 そうなのだ。
 「唐紙」は、「襖紙」の用紙になる前は「毛筆(文字書き)用紙」であった。

 ……………

 ドキュメンタリ-『唐紙~千年の模様の美~』は、「唐長」11代目の千田堅吉さんが「嵯峨本」の復活再現にかける姿を追う。
 (千田さんは1976年、桂離宮の修復にあたり3000枚の襖障子を仕上げておられ、その一大事が「嵯峨本」用紙再現の気運を高めたのかも知れません)
 
 すると、どうしたものか。
 幼い日、若き日の眼には「歴史的な文物」としか写らなかった「嵯峨本」の、<きらびやか>でしかも<はんなり>としたあじわいが、いまは、わが手指の感触にナマなものとして生きてきたのには、おどろいた。

 ぼくには「嵯峨本」に再会したい想いがつのってきた(……)