どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「パラ」スポーツについての考察/       シーズンオフになって落ち着いて…

-No.1675
★2018年04月23日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2601日
★ オリンピックTOKYOまで →  823日

 おはようございます、おげんきよう、<なっつまん>です。

*〝とき〟は過客、〝ひと〟は旅人…それにしても早いものですネ…「そだねぇ」!*

◆2020東京大会でどこまでヤレルか

 平昌の〝パラ〟リンピックもオリンピックと同じく、日本もかなりの好成績をのこして終えて、あらためて課題も浮き彫りになった気がします。

 すっかり暖ったかくなった時季を迎え、来シーズンさらには次の大会に向けて、沈着に熱く、考え、行動もしていきたいと思います。

 見つかった課題は、3つ。
 1つは、パラリンピックの開催時期
 2つは、パラ大会は「障害者の地位向上につながるのか」の疑問
 3つは、オリンピックと同じく必要な種目数(メダル数)の再考

 まず<1>の、パラリンピック開催時期については。
 「オリンピックより早く」にすることが、なにより肝心カナメ。
 これは「パラ」大会の開催主旨を、「障害者に活躍の場を」「障害者に光りを」とするなら、あたりまえのことです。

 今回、平昌大会の模様を見ても、オリンピックが済んだ〝後の祭り〟では、いかに雰囲気を盛り上げようとも、興味は半減せざるをえません。
 はっきり言っておけば、そのこと自体が<差別的>。

 ぼくは、「オリンピックはひとつの大会に」するのがイイ、と思っています。
 つまり、パラリンピックとオリンピックを同時開催にする。

 すでに健常者(別な見方をすればこれもたいへん差別的)と対等に競えるレベルに達している競技もあるのですから、そういう競技からは余計な〝垣根〟をなくす。
 また障害の種類などによって、対等には無理のある競技は別にしますが、あくまでも開催の時期と場所は同じくする。

 まだオリンピアンに限られる競技がある一方、「パラ」独特の進化をとげた競技(たとえば車椅子バスケとかスレッジ・ホッケーとか)もあるのですから、そちらには健常者もチャレンジできるようにする。

 この考えは、社会貢献プロデューサーの竹井善昭さんも提唱されています。
 新機軸をうちたてていくのに困難はつきもの、だけれども、そこはなにごとも前向きに、チャレンジ精神で伐り開いていかなくちゃ、ね。

 2020東京大会を、ぜひそのきっかけにしてほしいものです。
 政府の基本方針も「パラ大会を共生の契機に」と謳っているのですから。

 つぎに<2>の、パラ大会は「障害者の地位向上につながるのか」の疑問。
 これは、関係者の誰にとっても、パラリンピアンにとっても、重いテーマです。

 このたびの平昌大会にあたって行われた意識調査では、「パラ選手の活躍が障害者全体への理解にはむすびつかないと思う」との答えが少なくありませんでしたし、「パラ選手と他の障害者とは別ものと思われるのがこわい」とする人さえありました。

 選手たち個々人の訓練と努力、その結果あげた好成績には深く敬意を表するものです、が。冷静になって考えてみてほしい、それが、かならずしも自分たち障害者全体の理解に役だってはいない、としたら、これほど哀しいことはない…ちがいますか。

 ほんとうに「自分だけがトクベツではない」のか、どうか。
 自分もじつは、やっぱり「選ばれた者」ではなかったか。
 ほかの、おなじ立場の障害者たちに、いつも自分の意識は向いている、と言えますか。

 ぼくは、とくに福祉的な人間ではありません、けれども。
 関連する活動に参加した経験もあり、そこで気づいたのは、障害者にもそれぞれにある個性を大別すると、内省的なタイプと主張的なタイプとがあって。
 ここでもやはり、主張的なタイプが表に向いて立ち、支援者も進んでそれを助長する傾向にある、ということです。

 どちらのタイプもひとしく尊重されるべきですが、なかなか…そこがむずかしい。
 このギャップはまた、経済的にもおおきくて。
 パラ・スポーツに心おきなく専念できる人は、やはり限られた、〝恵まれた人〟たちと言っていいと思います。

 障害者に対する「理解は進んできている」と、いま、しきりに強調されています。
 けれども、まだまだ注目度は低い証拠に、たとえば、パラリンピックに参加する選手層の薄さに注目する人は少ない。
 かぎられた選手の間で、メダルが競われている事実には、あまり目が向けられません。

 たとえば、こんどの平昌パラリンピックアルペンスキー女子・座位の出場選手はわずか7~10人で、男子・座位の3分の1。全部で5つの金メダルのうち、村岡桃佳(21)選手のが1つ、ほかの2選手が2つずつ。
 選手層の薄さを露呈したのはスレッジ・ホッケー(パラアイスホッケー)日本代表、最高齢は61歳(最年長)で平均年齢も42歳でした。
 
 「スポーツの裾野を広げる」ことが求められる事情は、パラ・スポーツも同じことなのに……

 <3>の、オリンピックと同じく必要な種目数(メダル数)の再考。
 〝パラ〟も同時開催のオリンピックこそが理想とすれば、なおさらに、競技数・種目数(メダル数)ひっくるめて、きびしく<縮減>の方向で再検討が不可欠でしょう。

 極論すれば、スポーツは<歴史>より<時代のニーズ>です。
 男女平等、障害者も平等なのデスから、<ふやす>方向でいったらキリがない。
 たいせつなのは「オリンピックに出たい」のはアナタだけではない、ということ。

 たとえば、陸上競技には「ハーフ・マラソン」という種目もある。けれどもオリンピックには採用されていない。
 競馬の世界には「クオーター・ホース」という、4分の1マイルの距離なら滅法はやい、サラブレッドにもひけをとらない種類の馬がいて、その個性、愛すべし。
 だが、惜しいかなメジャーにはなりえていない。
 
 そのような方向でつきつめて言えば。
 どれほど優れていようとも。
 一人のアスリートに、同じ競技でいくつものメダルが与えられるべきでもない。
 ぼくは、そう考えます。

 ……………

 ところで一方。
 吾が耳に、まだ軽度とはいえ難聴の障害をかかえるボクは。
 現状、そのパラ・スポーツとも一線を画されてある聴覚障害者の、国際スポーツ大会「デフリンピック」で頑張る人たちの存在が、より身近にある。

 なのに、なぜ、差別されていなければならないのか、これも大いなる疑問。
 昨年8月にトルコで開かれた大会で、日本選手団は金メダル6つをふくむ計27個のメダルを獲得しているのです。

 ……………

◆<成長>の時代から<成熟>の時代へ

 そんな国際社会的な潮流のなかで、いま率先してスポーツこそは。
 いかなる<差別>をも超えた、<成熟>の時代であってほしいと思います。