どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

武蔵野散策…真姿の池から武蔵国分寺

-No.1636
★2018年03月15日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2562日
★ オリンピックTOKYOまで →  862日









◆台地の湧き水

 中央線の電車を国分寺駅で下りた。
 ちょと、武蔵野の風情を心に偲ばせてみたかった…が。
 正直、あまり期待はしていなかった。

 「武蔵野って、何処のことですか」
 そう訊ねてくれるくらいなら、まだイイのだが、若者たちのあいだでは、ほとんど映画館やショー劇場と混同されている。

 かくいうボクも、青春時代に国木田独歩の『武蔵野』を読み、その舞台と思しき辺りをほっつき歩いたことがあるのだけれども、「どこが武蔵野?」道行く人に問うてみたい気分だったことを覚えている。

 「武蔵野」というのは、すでにボクらの時代、はじめからボーゼンとした対象であり、辞書などで「関東平野の一部」などと説明されるにいたっては、ますますボーゼンとするばかりであった。

 自然の地理的な境界には、「ここからここまで」と画然とはしないことが多いけれど、それでも川とか山の尾根とかなら気分としてすっきりナットクがいく。

 それにくらべると野っ原は、「のっぺらぼう」の語源ではないかと疑われるくらいに、とらえどころがない。砂漠地帯の国境線ほどではないにしても、ほぼそれに近い感覚だった。
 「武蔵野」は、淡い水彩のグラデーションか水墨の滲みか、なにしろ「茫」とも「漠」ともするばかり……

 ともかくもボクはいま、武蔵野市よりも奥まった在所、国分寺市にいる。
 それだけを「武蔵野」の頼りに、まだ寒い風のなかを歩いていた。

 ……と、郊外にしては歩道の極端に狭まった通りを行くうちに、不意に。
 なんの前ぶれなしに、一軒のお宅の玄関先をすぎたら、そこにポッカリ、ぐるりを雑木の一群に囲われた枯野があって、そこが武蔵野台地の外れにあたる…ということだった。

 ぼくには、風景を写真的に<截りとって見たがる>癖があるのだけれども…(これは、どうにも絵にならない)。

 そこへ前方からヌッと人影が現われて、地元の散歩人らしいその影は、どうやら下から階段を上がってきたところ、と知れ。
 それを逆に辿って下ると、風景が一気に幾時代かを揺れて、だしぬけに、ホッと清らかな水の流れに出くわした。

 これは、武蔵野台地から流れ出す湧水のひとつ。
 流れを引き入れた池がすぐ傍らにあって、一帯の湧水にはこの池にちなんで「真姿の池湧水群」と称され、<名水百選>にも選ばれている。

 地理・地形のなかで、もっともわかりやすいのが切り立つ崖であり、その崖の下にはたいがい水流をともなうから、親しみやすさもある。
 崖を「まま」あるいは「はけ(ばっけ)」などと呼んで、その湧き水からの流れは、むかしから用水として利用された。

 全国には、さまざまな<佳き土地>があるけれども、その多くはまた<佳き水・佳き流れ>に恵まれている。
 清らかな湧き水からの流れには、えもいわれぬ潤いがあり、人の心そこに和む。

 国分寺の地は、江戸時代なかごろの寛延元(1748)年、徳川御三家尾張藩の鷹狩り場とされた歴史があることから、きょう歩いて来た道すじを「お鷹の道」とも呼ぶそうな。

 付近の集落(いまは住宅地)を潤した流れはやがて野川へといたる。
 真姿の池の畔には、茶店ふうの店などもできていたけれど、いずれもまだ雨戸を閉てていた。

 真姿の池には、当時、絶世の美女とうたわれた玉造小町にまつわる伝説なるものものこされていて…が、しかし、ぼくにはどうも、湧き水の明晰にまさるほどの説得力は感じられなかった。

 そぞろ歩くこと、しばし……

 住宅街の一画にひろびろとのこる一面の原は、武蔵国分寺跡。
 いまは、諸国国分寺のなかでも最大級の規模であったといわれる金堂跡、講堂跡、七堂伽藍跡などがのこるばかりで、石碑と案内板を除いてしまうと拠りどころもなく。
 むしろ時代は、あたり一面の茅の原であったとされる万葉の頃へと、遠くスリップしてしまう。

 やはり、堂塔伽藍の並び立つ景、ふさわしい風土というのは、平城京あたりに譲るしかないようだった。

 史跡のうちに見られる現在の武蔵国分寺(真宗豊山派)は、鎌倉時代末期、新田義貞の再建という。
 境内、本堂脇には160種ほどを集めた「万葉植物園」があった…けれども、いまはまだ冬枯れのなか。

 長い石段の上、義貞寄進の薬師堂にいたってはじめて、古寺らしい風情に出逢う。
 ここのご本尊、木造薬師如来坐像(国の重文)は、毎年10月10日のみ公開とのこと。
 境内には、寺守をする近在の方ひとり、落ち葉を掃き清める姿があるばかりだった。