どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

『クモの糸でバイオリン』

-No.1634
★2018年03月13日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2560日
★ オリンピックTOKYOまで →  864日




◆目のつけどころ

 岩波科学ライブラリーの1冊『クモの糸でバイオリン』(2016年10月)を読んだ。
 著者は奈良県立医科大学名誉教授で理学・農学博士の大崎茂芳さん。いわゆる〝蜘蛛学〟の方ではなく、専門は生体高分子学。
 
 40年ほど前、大学院の博士課程をおえて<粘着紙>の研究をしていたとき、その論文をまとめる過程で「ふと、粘つくクモの巣が頭に浮かんだ」と冒頭に書いておられる。
 それが「さすが目のつけどころ」だったし、ふとオカシくもあって、親しみをいだいた。

 クモとの出逢いは、ぼくにも親しいものがある。
 ぼくの場合のそれは、地面に穴を掘ったなかに筒状の網を張って棲む地蜘蛛との付き合いから始まり、小学校に入ると「ホンチ」と呼ばれる美しい黒蜘蛛に一時期、夢中になった。

 こんどあらためて調べてみると、「ホンチ」の正体はネコハエトリという蜘蛛のオスの成体だそうで。
 その「ホンチ」が春、縄張り(繁殖相手獲得)争いで闘う習性に魅せられた少年の遊びは、横浜の方で昭和30年代に流行った…とあった。

 (それだ!!)
 少年たちは「ホンチ」をもとめて垣根や草っ原を探しまわり、捕まえるとマッチ箱(ホンチ箱)に入れて持ち歩き、ほかの誰かさんの「ホンチ」と勝負させる。
 つよい「ホンチ」は少年の誇りであり、それは<メンコの大将>なんかより生きものである点ではるかに、生々しかった覚えがある。

 ……………

 この「ホンチ」蜘蛛については、その後、千葉から興味深い情報の到来があった。富津に、土地の氏神さんの境内で<蜘蛛の相撲>に熱く夢中になる大人たちの、江戸時代からつづく習慣があるのだ、と。勝負の決着は簡単、「さきに逃げ出した方が負け」。写真を見せてもらうと,まちがいない「ホンチ」であった。富津では、この蜘蛛を「ふんち」と呼ぶそうな。「似てる」どころじゃない、ほとんど「おんなじ」転訛の世界、「横浜とどっちが本家」なんてヤボは言うまい! ちょっといい話し、それでいい。

 ……………

 ぼくが、蜘蛛の巣の粘つきに興味をもったのは、小学校も高学年になってから。
 ただし、興味の主体はもっぱらその<造形の美>にあって、夜露や雨粒に濡れて陽に光るさまをよろこんだ。

 夏休み自由研究の課題に「クモの巣の美しさ」を選んだことがあって、粘つく蜘蛛の糸の性質を利用して画用紙に、なるべく新しい蜘蛛の巣(捕虫網であるそれはもちろん常に新しく張り替えられる、古い巣には小さな虫などいっぱい掛かっていて美しくなかった)を集めた。

 白より黒い画用紙の方がより見栄えがすることも知った。
 もちろん、水滴を光らせたクモの巣も採集した。
 ……が。

 これらの努力は結局、意気ごみほどの出来栄えには、つながらなかった。
 顔にべったり貼り付いたりして…あれほど粘っこかったはずのクモの糸の巣が、なぜか画用紙には、思うように「ハリのある状態」では貼り付いてくれず、糸が垂れ。
 ましてや、「水滴の粒が陽に輝く」はずの巣は、みじめに乾からびた。
 
 その、人の思うようには粘り付いてくれないクモの糸の原因も、この本を読んで明らかになった。
 要約すると、クモの外分泌する(腹からくりだす=尻から吐く)糸には7種類あって、それぞれに役割があり、そのうち粘つく(獲物を捕らえる)のは<網>に相当する「横糸」だけで、<骨格>に相当する「縦糸」や「枠糸」は粘つかない。また、糸の全体が粘つくわけでもなくて、「粘着球」と呼ぶものが細かい点状に並んでいる。

 粘つく<網>にかかった獲物に襲いかかるとき、クモは粘つかない糸を伝ってグルグル巻きに絡め捕るテを使う…のであって…だから、誤ってみずからが絡まってしまうこともない。

 「牽引糸」と呼ばれるのがクモの<命綱>で、クモはこの糸を使って巣の中心の生活場所(こしき)や、枝などにこしらえた附着盤から移動したり、また、危険に遭遇したとき逃げるのにも使う。
 したがって「牽引糸」がもっとも丈夫にできており、粘つかず、大崎さんもクモの糸を利用するにあたっては、この糸に目をつけた。
 〝牽引糸とりだし大作戦〟である。
  クモのお腹からとりだした糸(牽引糸)を、自家製の糸巻きに巻きとって使ってしまおうというわけだ。

 この作戦に主として使われることになったのが、大きな巣を構える(網を張る)ジョロウグモコガネグモ
 (子どもの頃のボクは、黒と黄色まだら模様のジョロウグモはタランチュラみたいな怖ろしい毒グモと決めてかかっていたのだけれど、そのじつは、人体に影響をおよぼすほどの毒も噛みつく牙もないそうな…知りませんでした!)

 ともあれ、この本のお話しは。
 クモの糸が、ただ粘つくだけでなしに「柔らかくて強く切れにくい」(強度は鋼鉄の5倍、伸縮率はナイロンの2倍)、繊維素材としてヒジョーに優れたものであること。
 (つまり、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』は現実に可能。一説には、それだけの大仕掛けな巣=網を作れればの話しだが、虫型くらいまでの哺乳動物なら捕まえることができるだろう、という)
 
 さまざまな実験や解析による、その科学的な知見をもとに、クモの糸に人間がぶら下がる(なんと体重124kgの巨漢)実証実験からスタート、重量約3,500kgの2トントラック(人間6人を乗せて)を文字どおり「牽引」し、ついには縒りあわせてバイオリンの弦に仕立て、名器ストラディバリウによるプロの演奏会まで成功させる、オトコの熱中秘話である。

 けれども、ぼくの興味はモウシワケない、センセイの科学的な追求・発見譚よりも、クモの生物としてのオモシロさの方にあった。

 たとえばクモは、カタチのうえでは2列に並ぶ8つの目がありながら、視力は<弱視>(ただし紫外線は見える)もいいとこ、ほとんど盲。座頭市
 頼りにするのはもっぱら高度に研ぎ澄まされた感覚で、したがって、クモの共食いは日常茶飯事、うっかりすると繁殖(生殖)相手さえも餌にしかねない。

 それでいて知能は、かなり発達しているらしく、体に占める脳の割合はヒジョーに高く、しかも中枢神経がその8割ほどに達するという。

 実際、この本を読んでオモシロイのは。
 たとえば博士は、「長年の経験から、クモは「優しすぎれば舐められるし、厳しすぎればへそを曲げる」のだ」と断言する。のだが、この談話、ぼくらガキの頃の遊び経験にいちいち合致する。

 また、こちらが欲ばったり仕事を急いだりすると、途中で糸を切って逃げたりされる。機嫌のよくないときには仕事をいやがるので、へそを曲げられないような環境づくりをこころがける。
 さらには、クモにも騙しのテクニックがあって、途中で死んだふりをすることがあり、こちらを油断させておいて遁走する、などなど。

 そのいちいちに、ボクは、むかし懐かしく頷くのだった。

 蜘蛛の仔は、「バル―ニング」といって糸(牽引糸)をつかって空を飛ぶ…というか…風に舞う。
 ぼくは、粘りつくクモの網(巣)にかかるのは正直、気色わるかったが、このバル―ニングする蜘蛛の仔にはいまも愛着があるのだった。
 ほんと、あれは、じつにカワユイ!