どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》から7年目の日が近い

-No.1630-
★2018年03月09日(金曜日)
★11.3.11フクシマから → 2556日
★ オリンピックTOKYOまで →  868日

◆ゆううつウィーク

 3月に入って。
 冬のあいだ〝半冬眠〟(まんざら冗談ばっかりでもない)にあったボクにとっては、そろそろ穴倉から抜け出してお陽さまにコンニチハの時節なのだ、けれど。
 じつをいうと、ちょっと、憂鬱。

 新聞やテレビに、《11.3.11》東日本大震災「あれから7年」を題材とする記事や番組が、不意(じつに唐突)に、ドカドカとことわりもなしに、厚かましく(少なくともそう感じざるをえないカタチで)顔を見せ始めるからだ。

 去年も、一昨年も……震災二年後くらいからは、ずっと、そうだった。
 つまり、これ、1年ぶりの「顔見せ」である。
 ことしは5日、月曜日あたりから、それは始まった。

 なんで、年に一度のごアイサツ、なのか……
 ボクには、「そんなデカいツラして押しかけてこないでよ」気がする。

 ぼくは、<被災した人>ではない、<被災地の人>でもない、けれども。
 この<災害列島>に生きるひとり、<防災>には無理があるかも知れないが、少なくとも<減災>のこころがまえを、まず、みずからに身に染ませたい。
 このブログでも、折にふれ、<すきま風>程度ではあっても沁み入る情報発信をしていきたいと、思って来た、思いつづけてお話しさせていただいて来た。

 そのボクが思う。
 1年に1度、想い出したように〝特集〟記事にしたり特報〝番組〟にしたり、いかにもモノワカリよく、<いいところどり>しないでほしい……

 たとえば「風化」というコトバ。
 これなど、マスコミがこさえて、勝手に流布させたものである。
 「風化させたくありません」とか、「風化を嘆く被災地」とか。
 被災地に、被災した方に、「風化」などありえない。
 だれにも身に沁みてわかってはもらえない、(忘れられてしまう)寂しさがあるだけだ。

 「風評被害」なんてコトバも、マスコミが煽った。
 しかもそれは、「風評被害」そもそものタネを蒔いた人たちによって、二重被害の様相さえおびている。

 「忘れられません」というとき、被災した人の頭にあるのは、ひたすら防御の念だ。
 ヒトも、この地球環境で生きのこってきた生物種であるかぎり、いつも不幸や辛いことは乗り越えてきたのだから、そのためには忘れる必要があることはワカッテいる、「忘れられません」というコトバは、それまでの間に寄せられる、心無く物見高い外界からの、干渉から逃れるための<命の方便>にすぎない。
 せめて、それくらいは知っていてほしい、と思う。

 1年1度じゃなしに。
 もう少し、気を配ってクダサイ。せめて、
 1週間に1度くらい。
 気もちを<つなぐ>、被災を<風化させない>とりくむ姿勢が、マスコミには求められている、のではないだろうか。

 「東京新聞」という、ぼくも購読している東京の地方紙がある。
 この新聞には、いまも毎週「~3.11後を生きる~こちら原発取材班」という紙面が続いて、そこには「福島第一の1週間」が図解入りで報告されている。

 ぼくだって、いつも丹念に読んでいるわけじゃない、ふだんは軽く目をとおすくらい、なのだけれど。この記事を続けてくれている信頼感と、そうして、じつに地味な努力ながらそのおかげで、けして安心はできないイチエフの事態の推移が、アノときのことを忘れさせません。

 これくらいの努力ができない全国紙、民放キー局に「風化」を叫ぶ資格なんぞ、あるのでしょうか。

 それでも、ぼくは、今後のために、できるだけ読みます、見ます。
 1年に1度のオマツリさわぎは、くたびれますけど……

 でも、被災地のほうでは、その扱われ方のせいでしょうか。
 自身あるいは地元に深く関わることなら別ですが、あまり見られてはいないようです。

 ……………

 2月。復興庁から発表のあった東日本大震災の<避難者>数。

  <2018年>
   〇7万3,349人
  <2011年>の震災直後
   〇47万人(推計)
   *たしかに少なくはなってきました、が。
   *この数字も、じつはワケありで、たとえば福島県で<住宅支援>をうちきら
    れ<自主避難>扱いにされた人は含まれていません。
   *いずれにしても、いまも7万人以上の<避難民=国内の難民>はホントに少
    ないですか。

 避難先は、地元、福島県宮城県岩手県が多いのはとうぜん、として。
 次に多いのが、首都圏。
 また、この春までで、避難先の家賃無料制度がうちきられ、あるいは仮設住宅からの立ち退きが迫られるなかで、親族や知人宅に身を寄せる人が多くなっている、ともいう現実。

 あのとき。
 福島から避難した人たちの中には、原発のない沖縄まで、子を連れてのがれた方々があった…たしか700名ほどおられたかと思います、が。
 その後どうされているのか、これも気がかりなことです。