どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ウナギシラスの資源が激減…という/       それよりボクはお魚と逢えない日の訪れに怯える

-No.1596-
★2018年02月03日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2522日
★ オリンピックTOKYOまで →  902日

*公益財団法人日本相撲協会の理事(候補)選は、貴乃花親方の〝ひとり落選〟でひとまずの区切り。降格されようと、発言権がかぎられようと、貴乃花親方の決意はかわらないだろう…と思う。ただ、この区切りがあって後の対処、放っておけないのは暴力事件の被害者、貴ノ岩関への専心治療と、そして土俵復帰へのサポートである。貴乃花親方にはぜひ、ひとまず、他のなにごとを措いてもの寄り添いに<心血>をそそいでもらいたい。*




ノレソレ

「ほぃ、ノレソレ
「おぉ、それそれ」
 呑ん兵衛の集ったテーブルに、一品の〝珍味酒肴〟がでる。

 ペロン、ツルンとして、とらえどころのない、なるほど「のれ…それ…」っとしたもの。
 ひとつ摘んで舌にのせると「葛切り」のようでもあり、しかし、これはやっぱり、サッパリと二杯酢か土佐酢が美味く、ぼくは「踊り」喰いを好まない。

 ウナギ型の魚の幼生、平たくて長くて透明な…柳の葉を想わせるものを「レプトケファルス」と称するけれども。
 「ノレソレ」の正体は、マアナゴの幼生。
 関西の方では「べらた」と呼ばれるそうだが、語感は似たようなものである。

 ……………

 父親が日本橋、商家の生まれだったわが家は、いうまでもないウナギ好き。
 いまで言うタウンウォーク、町歩きが好きだった父に連れられ、休日には都心や下町へ連れて行ってもらった子どもの頃。

 昼どきに入る店といえば、たいがいは蕎麦屋や饅頭屋だったが、ときに「かばやき」を食べに鰻屋の暖簾をくぐることがあって。
 大企業とはいえサラリーマン家庭の身の、父母にとってはまさしく〝奮発〟の日であったろう。
 
 その後、わが家に「かばやき」小父さんの福音がくる。
 「かばやき」小父さんは、父の旧友で、鰻蒲焼「登亭」の出資者であった。
 この小父さん、わが家を訪れるときの土産はキマって、とうぜん「かばやき」。父が所用で出かけた帰りの土産も「かばやき」になることが多くなり、どうやら小父さんのおかげの値引きがあったらしい。

 登亭はいまもあって、銀座店は4丁目、並木通り口そば
 江戸後期、天保年間創業、千住市場のウナギを扱う川魚問屋「中市」が前身。
 戦後1952(昭和27)年、日本橋室町に「100円うな丼の店」として登場した。ようやく物資統制が撤廃され、養殖うなぎの生産量も増加してきたその頃、「高級お座敷のものだった鰻料理を美味しく安く大衆に」の商法が世相にマッチして大ヒット。リーズナブルなお土産「かばやき」も評判になり。
 ぼくの少・青年期、「土用丑の日」には店にできる長い行列が名物となった。

 ……………

 そんなわが家がウナギから離れはじめる…きっかけになったのが、ほかでもないボクの結婚。
 道南の津軽海峡沿い、〝イカ漁の町〟福島に生まれた彼女はウナギが苦手…というより、ただ「食べなれないのもの」だったからだろう。

 現に、若いころ横浜に住んだこともある彼女の父親はウナギが好きで、しかし、それが手に入らない北の国では、かわりにドジョウを食べていた、という。

 そんなドジョウだって、食べられたのは父親だけ、子どもたちが口にすることはなかったそうで。
 だから家のかみさん、浅草へ「どうじょ(鍋)」を食べにいったときなども、まぁ「柳川」ならなんとか食べられます…程度だった。

 そんな彼女が、ところかわって鮨屋では、おなじウナギ型の海魚「あなご」のにぎりをこよなく愛する。
 ……で、それからのわが家は、「うなぎ」から「あなご」へと徐々に席替え。
 途中経過では、鰻屋でかみさんだけ「白焼き」ということがあったりした。

 そうして歳月を経、ともにウナギ好きだった親の代をあの世へ見送ってからは「かばやき」も、もっぱら命日や彼岸・お盆の供養の食品。
 ぼくにしても、いまひとつ素性の知れない輸入ウナギの「かばやき」を、それでも「土用丑の日」だからと喰べるほどのことは、自然となくなった。

 ……………

 年が明けて。
 寒中の風物詩だった「しらすうなぎ」捕りが、不漁つづきのなかでも極端な不漁と聞くにおよんで、ぼく、黙して天を仰ぐのみ。

 考えてみればもともとが、〝養殖〟なくしては成り立たなかったのが現代、庶民の「かばやき」食なのだ。
 江戸時代、流行らなかったウナギ食の宣伝に、平賀源内が書いた広告コピーといわれる「ほんじつ土用丑の日」、天然ウナギの漁獲で充分まにあっていた頃とは時代がチガう。

 ようやくのことにその産卵場所、遥か南方のマリアナ海域あたりと知れたのが、つい近頃になってからのウナギ資源事情で。
 2002年には世界ではじめて、人工孵化の仔魚をシラスウナギに変態させることに成功した…とはいうものの、実用化には、まだまだほど遠いから。

 やっぱり、シラスウナギを夜の海辺に網を手に手に待ち構えて捕獲、それを養殖するしかないのが、ざんねんながら日本の「かばやき」食文化である。

 しかし……

 じつは、こよなく漁食愛に生きるボク、暇さえあれば魚屋の店頭に目をひからせるボクが感じている漁獲の貧困は、まったくのところ日を追って深刻。

 数量が少ないばかりか、形も小さくなるいっぽう。
 食べるのがカワイソウなくらいの(かつての漁場でなら網に入っても海に帰されていたほどの)ものばかりだ。

 もちろん、形のいい大ものはまず高級料亭などにもっていかれる…そんなことは、てんから承知。
 その日、そのときの漁の具合で、たまたま形が小ぶり揃いのこともある…けど、ぜんぜん、そんなんでもなくて。

 魚をめぐる環境はいま、極限にちかく厳しいものになっているのは、まちがいない、これまでにも繰り返し言ってきたとおりだ。

 <黒潮蛇行>など海流や、そのほか海の環境の変化もあれば、極東アジア各国、諸地域からのいちじるしい漁獲参入もあるだろう…けれど、それらとは根本的に別な問題として、<資源減少>から<資源枯渇>への急激な落ち込みがタシカに進んでいる。

 いつか、ある日、不意に、沿岸から、すべての魚影が消える。
 そんなSF染みたことが現出しそうな気配……

 自然界の食餌とはちがう餌の脂分など、あれほどに〝養殖臭〟を嫌っていたぼくが、「養殖魚なしに庶民の魚食はありえない」考えに変わって(それには養殖技術の相当な進歩も背景にはあったのだけれど…)から、まだ間もない。

 けれども、専門家すじの断固たる見解はなくても、漁獲も漁業そのものの先細りも、日に日に明らか。

 シラス(主にカタクチイワシの仔魚)にしても、いくら「成魚の資源量に影響があるほどのものではない」といわれても、ときおりに箸先がフ…と迷う。
 ほかに食べるものがナイでもないのに、あえて仔魚を喰らうこともなかろう気がするからだが。
 そんな気分が近ごろ、ますます重い。

 「ノレソレ」を酒の肴につついたバブル景気の頃は、すでに遠い日のことだった……