どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

新年…東京駅丸の内駅前広場に立つ/       平和を願う「愛〔アガペー〕の像」も南口に復帰

-No.1582-
★2018年01月20日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2508日
★ オリンピックTOKYOまで →  916日

小正月がすみ、賀状ほか年はじめのアレやコレやもどうやら片づいて、本日から平常にもどります。よろしく、おつきあいほど、お願いもうしあげます*







◆まずは新年、スタートにふさわしいお話し「東京駅」から

「やっ…これは広いな!!」
 首都〝東京〟のというより、やっぱり〝日本〟の玄関口とするにふさわしいのは、ここ。
 丸の内口の駅前に立って、晴れ晴れと思いました。

 なにしろ、ここしばらくの間、東京駅丸の内口とその周辺は、なんとも落ち着かなかった。
 
 2007年頃からか始まった国の重文、丸の内駅舎の保存・復元工事が2012年におわると、すぐ2年後からは駅前広場の工事が進められてきましたから。

 それがようやく昨年暮れに全面オープンされましたが、なにしろ新しいモノ好き、<物見高い>のが江戸っ子ですから、年明けを待って行ってみました。

 ヴェールがなくなって見ると、総面積約1万8,700平方メートルよりずっと広く感じられます。よく晴れた空を見あげて(ドローンからの映像を観たいな)と思いました。

 これだけあれば、災害時、緊急の避難場所としてもおおいに役立つはず。
 いつかは知れないけれど、しかし、いつかきっと来る首都直下地震への備えも、けっして忘れてはなりません。

 歩行者空間の中央広場は、芝生の緑をかこう御影石の舗装に欅の植樹。いまは冬枯れているし樹も環境に馴染んでませんが、これが育って緑濃くなったら…予定されているという夏の水張り計画なんかも、きっと解放感と清涼感あふれる演出になることでしょう。

 中央口から皇居へと延びる行幸通も、御影石敷きの歩行者空間。
 この行幸通を馬車が走る風景は、駐日大使が天皇陛下に信任状を奉呈する際の粋なはからい、工事中は中断になっていたこの風景も復活することになります。
 交差する道路際の制止ポールが、必要なときには撤去できるようになっているのも確認しました。

◆北と南に立つ「二つの像」のこと

 丸の内駅前広場。中央広場(歩行者空間)をはさんで北と南の側は、バスやタクシー乗り場を集めた交通広場になっていますが、ここには二つの像が立って、それぞれの想いをいまに伝えようとしています(ボクにはそう見える…)。

 二つの像は、いずれも駅舎・駅前広場の工事中にいったん撤去され、その後の処遇も未確定だったのを、関係者の熱い思いとつよい要請・要望とがあって、復活が実現したもの。

 ひとつは。
 北口、新丸ビルの近くに、日本の「鉄道の父」井上勝の像。
 初代の像は東京駅開業の1914(大正3)年、二代目の像は井上没後50年にあたる1959(昭和34)年の建立です。
 台座をふくめた像高8メートル。かつては中央口正面から、皇居の方角を眺めやっていたものでした。

 彼は、民営化以後の(旧国有)鉄道のあれこれ、なかでも最近の…新幹線の〝無事故・安心〟神話を覆すような事態とか…リニア新幹線にまつわる不透明な事情のかずかずとか…また第三セクター<リアス線>への統合に代表される地方交通線の切り捨てとか…<二本の鉄のレール>に託されてきた〝鉄道への信頼〟揺るがせることどもに、どんな感慨があるのか聞いてみたいと思います。

 もうひとつは。
 南口に、台座に「愛」と、神の愛をあらわす[アガペー」の文字とが刻まれた「愛(アガペー)の像」。総高7.8メートル。

 台座に碑銘がないので、道をいく人にはほとんど意味不明なのが惜しまれます、が。
 青空に向かって裸身の青年が両手を高くさしのべる姿からは、〝祈り望む〟容〔かたち〕がヨミとれます。

 1955(昭和30)年、敗戦の年・終戦の翌日に生まれたボクがまだ10歳の頃に建てられたこの像は、あの太平洋戦争後、戦勝国側の裁きによってB・C級戦犯の罪に問われた人たち(最終的に極刑を執行されたのは51人)の遺稿集『世紀の遺書』の収益金で造られました。

 なぜ、東京駅に…?。
 戦争に出征する兵士たちは、各地の駅から列車に乗ったわけですが、その国としての中心的〝出征〟ターミナルが東京駅であったわけです。
 「勝ってくるぞ、と、勇ましく」送りだされた、それまではごくふつうの市民・庶民の、多くの人々がいました。

 これは余談になりますが。
 <戦争指導者の裁判>として注目された極東国際軍事裁判による極刑が7人だったのとくらべると、接収された横浜地方裁判所の方で裁かれたB・C級戦犯に対する裁きのほうが、じつはずっと酷で苛烈なものだったのです。

 これらの事情は、いま、一般に知られることは、あまりありません。
 お爺ちゃんが国鉄の鉄道マンだったことで〝鉄道〟好きになったボクが、青年期からは対社会に目覚めたアンテナのおかげで、いまも、こうした動静からとりのこされずにいることには、思えば感慨深いものがあるのです、が。

 ……………

 この正月に受けとった賀状の1枚、中学・高校時代の友からのものにも、半世紀を超えても切れない縁があることを知って、うれしくなりました。
 
 高校のときの生徒会では、たがいに熱く、若い主張と議論をたたかわせた仲間のひとり、その後は弁護士として活躍する彼が、この「愛の像」建立にまつわる活動に関わりつづけていたのでした。
「よぉ」
「やぁ]
 の息合、呼び覚まされます。

 ……………

 ところで。
 東京駅に出かけた日が、12日。
 それからちょうど一週間後には、早咲きの梅、皇居東御苑で開花の報せがありました。
 春のさきぶれ、まだしばらく遠い角を曲がったところ、のようです。 
 
 水の〝涼〟をもとめる夏を待つまでもなく、春の水すこし温んできたら、洒落たポール照明に浮かび上る東京駅丸の内駅舎を眺めてみたい…ものです。