どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ (52)18日目(1)帰路のフェリーは〝新造船〟  今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1556-
★2017年12月25日(月曜日)
★11.3.11フクシマから → 2482日
★ オリンピックTOKYOまで →  942日








◆乗りなれた商船三井フェリー

 苫小牧-大洗航路、夕方便。
 このたびの乗船は「さんふらわあ ふらの」。
 ただし、これ、この春から就航したばかりの新造船。
 で、チケットの船名の頭に「新」の文字が誇らしい。

 総トン数13,816。
 航海速力、苫小牧発(黒潮に逆行)22ノット、大洗発(黒潮に順行)24ノット。
 全長199.7m、旅客定員590人。
 車両搭載、大型トラック約154台、乗用車約146台。

 船室は個室のスーペリア、キーもカード式になっている。
 船とか飛行機とか鉄道とかの限られたスペースに、デザインや好みのヨシアシはあっても、なにしろ空間の確保が最優先のボクは、基本、ほかにはとくに注文などはないのダ。

 ただ、ふと気がついて、はじめて船室に備え付けのライフ・ジャケットを試着してみる。
 思ったとおりかなり窮屈なもので、とくに首・喉のあたりが、とてものことにジャマくるしい。
 これを着けて海に漂っている姿を想像したら、ゾクッと気もちが冷えた。

 ……………

 苫小牧のスーパーで調達してきた食材を肴に、うま酒に酔えばいつもなら、トロッと長旅の疲れに誘われる眠気にはあらがいがたかったものだ、が。
 この夜は、不思議に目が冴えて、しばらくは洋上の月に旅の途次のあれこれを想い、追いかける。

 (この国というものに…少しでも民を思いやる心があればなぁ…)
 つい、ため息がもれたのは、政府が2020TOKYOに向けて推進をもくろむ「復興『ありがとう』ホストタウン」事業とやらいうもの。

 では、いかなるものか。
 それはなんと「あの被災した時に支援してくれた外国の人たちを、東北3県の市町村に招いて交流を深めよう」というのだ。
 構想の趣旨〝思いつき〟そのものは、わるくない。
 (ちなみに各国選手団の事前キャンプ地などに、全国250以上の自治体が名のりを上げている「ホストタウン」構想とは別物である)
 …が、肝心の被災地の復興状況と、そのいま現在をまるで把握していない。

 被災自治体のほとんどが、復興のため、全国の自治体からの応援職員たちの協力を、いまも得つづけているのが実情であり。
 人材面でも、費用面でも、とてもまだ、そこまでの、気分的にも余力はない。
 (しかも事業費の負担が国と折半じゃね…)

 実際に応募した自治体を見ると、岩手県陸前高田市や野田村などの5市村、宮城県仙台市東松島市福島県南相馬市飯館村など4市村…帰宅後11月中旬に調べた時点でも計11市村にとどまっている。
 声を上げたのは、疲弊した現地のなかでも、まだしも財政にゆとりのあるところか、トップの施政方針が外向きの自治体にかぎられる、のはアタリマエというべきだろう。

 どこの市町村にも、その住民たちにも、内・外からの支援に感謝の気もちは、計り知れないほど深いものがある。
 だから時いたれば、お礼心の発露に待ったはない。
 が、いまはまだ、そのときではない。
 それが国には、この国の政府にはワカっていない。

 オリンピック誘致演説で安倍総理がブチあげた、「福島原発は完全にコントロールされた管理のもとにある」という、あの妄言が想い出されてならない、現実とのギャップ、おおきくズレた溝が、その底には深く横たわっている。

 ……………

◆〝原発銀座〟の浜の視界良好

 夜が明けて、天気は晴朗。
 金華山牡鹿半島宮城県石巻市)の磯がくっきりと間近に見られて、空気が澄んでいることを知る。

 毎年のように通っている航路だ、けれど、こんなに恵まれた視界良好は初めて。
 ぼくには、こころ秘かに期待するものがあった。

 おそい朝食後の甲板に出、風のなかを歩きまわって、目は沿岸を望遠して、待つ。
 やがて、見えてきた!
 磐城から常陸へ〝常磐〟の浜につづく原発群が……

 もっとも大規模な福島第一原発をかわきりに、少し離れて第二原発、それから、ややしばらくして東海原発が、これまでに見えたことのない明瞭さで、しきりになにかを訴えかけるように!

 ぼくには、陸路からは近寄ることさえできない原発群が、個々それら自体は物体の集合にすぎないものたちが、夜の船舶からの発光信号みたいに…ピカッ・ピカッ…と、たしかなメッセージ信号を打電してくる。
 ぼくはその間、ずっと甲板に立ちつくしていた。

 ……………

 さらに、昼近い頃には、この春に訪れたばかりの塩屋崎。
 急崖の上に白亜の灯台が、ぼくら<遍路・巡訪>の旅を慰めるかのようだった。

 ……………

 こうして、これまで最長、全18日間の長旅を終え。
 大洗の港から車を走らせ、わが家に帰着したのが夕刻6時すこし前。
 暗くなりかけた庭かげに、収穫しのこして行ったゴーヤの実がひとつ、枯れたオレンジ色にはじけてすでに乾いていた。