どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ (51)17日目(1)苫小牧の町の広がり…帰京を前に 今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1555-
★2017年12月24日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2481日
★ オリンピックTOKYOまで →  943日







◆9月12日(火)、雨の〝最終日〟伊達市をあとに

 昨日は夕刻、夕張から長駆、道東・道央道を抜けて、噴火湾にのぞむ伊達の町まで戻って(?)きた。
 夜、市役所のMさんと待ち合わせ、かみさんと3人、一杯やりながら久闊を叙す。
 Mさんは、東日本大震災があった当時の元農務課長。
 宮城県亘理町いちご農家の方々に、この伊達市へ移住生産を呼びかける実務を担い、その後のあれこれ世話もやいてきた人。
 役所を定年になって、その後は嘱託の身だ。

 ともあれ、この方と連絡がとれたおかげで、ぼくたちは移住いちご農家の人たちを訪ねることができるようになった。
 それから6年半の時がすぎ、そうしていまは、いちご農家の人たちとよりもずっと親しくしていただいている。

 いつのまにか、<被災地東北巡訪>しめくくりの一夜を、Mさんとすごすのがキマリのようになっていた。
 この夜ばかりは、なにもかも忘れて酒肴を味わい、すっかり安心して酒に酔う。
 これも縁〔えにし〕、ありがたいことだった。

 明けて最終日の朝。
 これまで、なんとか持ち堪えてきてくれた空も、ホッと気がゆるんだかのような、冷たい雨模様になった。
 帰途、フェリーの港は苫小牧。
 夕方便(これで行けば茨城県の大洗港には翌日午後2時頃に着く)の出港は、夕刻6時45分。
 
 その前に……

◆最後の訪地「苫東ファーム」へ

 北海道の「次世代施設園芸」拠点という、そこはフェリーの港にも近かった。

 現在のイチゴは、そのほとんどがハウス栽培。
 栽培地によってそれぞれの育て方がある、という適応性もある反面、デリケートな面も多い作物。
 (蔓草に実るイチゴは〝野菜〟で、樹になる〝果物〟ではない、とする見方もある)
 少なくとも湿潤多雨な日本の風土はイチゴに最適とはいえない。

 そこで。
 北海道の夏の冷涼な気候と、高度な環境制御技術とで通年、高品質なイチゴを生産・販売しよう。
 ―というコンセプトで設立されたのが、この苫東ファーム。
 広く大きく平らなのが特徴の苫小牧の土地を活かして、太陽光利用型の高設ベンチ栽培温室がズラッと連結して28棟。

 ハウス暖房用のチップボイラーや溶液栽培の施設なども棟を連ね。
 苗を植え育てる<倍地>は土の布団ではなくて、ロックウールのベッド。
 これが農業の未来形!?

 …が、折あしく、いまは端境期。
 幼児の「ほっぺ」のように愛おしく赤い、あのイチゴの実も見られないと、降りしきる雨に叩かれるハウスの素顔、その表情は冷たいばかり。
 辞去して、いい時期の再訪を期す。

 ……………

 以下は、吾が想い。

 やれ〝水耕栽培〟だ、あるいは〝高設栽培〟だと、<土を、大地を、離れた栽培>農業が盛んになってくるのを、なかなかナットクできない自然〔じねん〕好みのボクがいる。
 (なにょぅ言ゃがる、お日さまだろ、土だろ、水だろ…が)

 しかし。
 その素顔の、環境の現実は、人工の化学物質による複合汚染などあって、いまではすっかり「汚れっちまって…」。
 本来の、力も、持ち味も、失われいくばかり。

 (やむをえん…か)
 と、しぶしぶ認める気になってきたのは。
 それら〝新しい環境〟に移行していくのは〝葉もの〟〝枝もの〟であって。
 どっこい、〝根もの〟はこれからも土に、大地に根ざしていくだろう…からだ。

 その意味で、広く作物の世界もいまは「棲み分け」の時代になったことを、いまのボクは承知している。