どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㊿16日目(2)夕張へ…<黒ダイヤ>の故郷はいま 今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1552-
★2017年12月21日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2478日
★ オリンピックTOKYOまで →  946日









◆9月11日(月)、<個々>より<集>に切実な<孤独>…

 <石狩の田野>当別から<炭鉱のヤマ>夕張へ。
 道央道を北へ、岩見沢から山地を目指す。

 夕張の町は、距離的には札幌より岩見沢の方が近い。
 道道38号夕張岩見沢線は、途中、かつての炭鉱の町、万字を通る。
 この一帯、周辺には「石狩炭田」の炭鉱が多く集まっていた。

 〝黒ダイヤ〟とまで呼ばれて当時の羽振りはたいへんなものだったわけだが、二酸化炭素排出・地球温暖化のワルとされたいまは、見る影もない。

 夕張市に入って、めろん峠を越える。
 周辺はメロンの通年栽培地。「夕張メロン」はいまも有名だけれど、かつての夕張には観光客向けに「メロン城」まであったことを知る人は、さすがにすっかり少なくなった。

 道は、ただただ寂しいばかり。
 万字の町からここまで、ついに1台の車両とも出逢わなかった。

 「石炭の歴史村」に着く。
 炭鉱の立坑櫓をシンボルタワーに、日本に唯一の模擬坑道をもつこの施設がオープンしたのは1978(昭和53)年。ぼくはその内部を克明に観ている、しかも二度。

 じつは、その折に入手しておいた関係資料類、このたび探してみたけれども、いつのまにかどこかへ散逸したらしく、見あたらなかった。
 あらためて再集したくても、いまの夕張、とてもとても、資料整理もままならないほどの窮乏ぶりなのであった。

 現実に、夕張最後の炭鉱の灯が消えたのは下って90(平成2)年、三菱南大夕張炭鉱の閉山だったが、この頃にはすでに<石炭の時代>はすぎて<石油の時代>になっており。
 夕張市のピーク、人口が最多だったのは60(昭和35)年、その数およそ11万7000。
 (日本のエネルギー革命は昭和30年代後半以降に進行、それにともなう炭鉱の不況とともに人口も激減した)

 そんな町の将来を見越して、「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズに、大々的に展開され。
 往時としてはまだ珍しかった大観覧車やジェットコースターをもつ遊園地など、併設施設も多い一大テーマパークであった……

 しかし、2007年に夕張市の財政はゆきづまって破綻、ついに「財政再建団体」の深い谷底へと転げ落ちた。
 いうまでもなくその原因は、さまざまなことの積み重なりではあったのだけれど、あえてひと括りに言ってしまえば、〝炭鉱景気〟に沸いた頃からの良くいえば大らかすぎる気質、<どんぶり勘定>的な体質が災いしたものにチガイなく。

 「石炭の歴史村」もまた同じ体質のもとにあって、いったんは自己破産。
 しかし歴史・史料価値の高い施設としての評価があって、遊園地ほかの贅肉部分を大幅に削ぎ落し縮小したうえで、かろうじて存続したものだった。

 その「石炭の歴史村・石炭博物館」で、大規模改修された模擬坑道(史跡夕張鉱)がこの春から公開され。
 これを機に市では、かつて炭都の盛衰の歴史、それと財政破綻から再生に向かう過程とを、しっかり見据えて発信していく考え、と聞いた。
 まずは、たしかな再建への一里塚としてヨカろう、ぜひ訪ねて見なければと思った。

 しかし……
 なんと間のわるいことに、着いて見れば、ふだんの月・火曜は休館、の掲示。
 開館の詳細を下調べして来なかった、ぼくの不覚だ。
 いたしかたなし。

 けっきょく、夕張炭鉱の原点「石炭の大露頭」や、明治時代に開発された「天龍抗口跡」など、外の園地に昔からあった見どころのいくつかを見ただけにとどまり。

 市役所の脇から、かつての〝炭住街〟銀座、人影もまばらな中を下る。
 それにしても、日本初にして唯一の「財政再建団体」という現実はキビシイ。
 (このままではイカン)と懸命に顔を上げても、またじきに、いかんともしがたく俯いてきてしまう…といった町全体の風情は拭いようもないのだ。

 この夕張の町に来るたびに、ぼくが、かならず想いおこす映画。
 それは、この町が舞台の『幸福の黄色いハンカチ』(1977年、山田洋次監督)ではなく、イギリス・ウェールズ地方のある炭坑町を舞台にした古典的な名作『わが谷は緑なりき』(1941年アメリカ、ジョン・フォード監督)。

 もともと夕張(語源はアイヌ語のユーパロ=鉱泉の湧き出る処)という谷間の、つまるところ炭鉱のみのために生まれたような町には、ほかにこれといって産業らしいものがない。
 「メロンの夕張」と言ったって、つまりはそれだけ、ほかにこれといえる農作物もない。
 将来の経済基盤として、わずかに考えられるのは観光だけ、というような土地である。

 苦労して「財政再建団体」からの脱却をはたしても、やっぱり、ご苦労なことであるだろう。
 いま夕張では、いくつかの谷すじに分散する人口を中心部に集めて、行政サービスの簡素化と高率化を図る「まちづくりマスタープラン」が進行中。
 人口減少社会のモデルとして注目される存在になっている、この現実も、やっぱりキビシイ。

 ……………

 そんな夕張に、なぜ?
 問われれば「そこに孤独があるからだ」と、こたえよう。
 孤独は<個独>と思われがちだが、<個々>よりの個々がひっそり寄り添うかたちで存在する<集>にこそ切実な<こどく>というのがある、それが夕張だった。

 気分を換えよう。
 ぼくの場合、もちろんそれには水気がいちばん、なかでも海…だが。
 ここではやむをえない、湖水をもとめて。

 「シューパロ湖」は、夕張の東郊。
 三笠・芦別富良野方面へ抜ける夕張国道(452号)沿い。

 途中、寂れた大夕張の園地に、かつての鉄路で活躍した客車の連結や、冬期の除雪に頼られたラッセル車を観て。

 財政破綻前の1962年にできた大夕張ダムの、150mほど下流にシューパロダム、こちらの完成は財政破綻後の2015年。
 110mを越える高さ(30階建てのビルに相当)と長さ390mは上流旧ダムの1.5倍、道央圏の治水・利水などに寄与する多目的ダムという。

 その工事に費やされた費用、財政再建団体にとってはありがいことだったろう、しかし、それだって結局は公共事業への依存。

 無人のダム堤防上から、眺める湖水の景…水没したらしい雑木の幹や枝が、はやくも冬枯れてきたような印象をあたえる。

 気になって、国道に戻り、トンネルを潜ってさらに上流に行く…と。
 この夏の渇水によるものだろう、水没したかつての集落への取付道路か…道端のカーブミラーまで水ぎわに貌を覗かせており。

 湖中には、円いアーチの旧道の橋まで見えた、白銀橋とかいうらしい。
 これは、いま、世界的にも貴重すぎる鉄道遺産と呼ばれて鉄道ファンに評判の「三弦橋-三弦トラス鉄道橋-」とは別ものながら、その憂愁の表情にはつよくこころ魅かれるものがあったのだった……