どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉟9日目(4)宮古市内、JR山田線の二つの駅   今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1526-
★2017年11月25日(土曜日)
★11.3.11フクシマから → 2452日
★ オリンピックTOKYOまで →  972日







◆「津軽石」駅と「磯鶏」駅

 山田町でJR山田線の駅3つを訪ねてから。
 「駅を見よ」モードになっていた。

 宮古市は、テリトリーの広さも市街地の範囲も大きい。
 岩手県沿岸部の、まちがいなく主邑である。

 《11.3.11》の大地震とそれにともなう大津波の被害も大きかった。
 被害を大きくしたのは、<試験管>のような細長い形状で北北東方向に太平洋へ開けた宮古湾であった。

 津波の海波は、市街地を流れて海にそそぐ閉伊川〔へいがわ〕を遡って氾濫し、宮古湾の奥に向かっても押し寄せ、両岸にぶつかっては返して輻輳しながら湾奥<試験管の底>に襲いかかった。

 そのときの映像で、ぼくに、つよい印象としてのこったのは市街地の電柱にしがみつき辛うじて難をのがれた男性の姿だった、が。
 それから半年ほど後、8月に宮古を訪れたときには、少なくとも目につきやすい範囲での復旧はかなり進んで見えた。

 それで勢いぼくの注目は、周辺部の田老地区や、宮古湾底部の津軽石、重茂半島の姉吉などへ向かったことを覚えている。

 ……………

 JR山田線(盛岡-宮古-釜石)の宮古陸中山田間が開通したのは1935(昭和10)年初冬。
 ちなみに山田線の全通は1939(昭和14)年。
 現在の駅(途中3駅)も同時にできたもので、うち2駅が宮古市に属する。

 その駅の、ひとつは「津軽石」。
 地名の津軽石は、やはり鉱山関連にはちがいない。
 集落を流れる津軽石川は、深い湾奥の小流れながら、鮭の遡上する川として知られている。

 津波の被害は甚大で、キハ型気動車(山田線は非電化)が脱線、立派な駅舎も流失している。
 集落の家々もほとんどが被災と聞いていたが、6年半後のいまは家並も復活しており、あたりに傷痕らしきものも見えなかった。

 この駅の、山田町側の隣り駅「豊間根」は山地にあって被害を免れている。

 宮古側の隣り駅は「磯鶏〔そけい〕」。
 この駅の、さらに隣りは「宮古」駅。

 小さな駅は、地方都市中心駅に<付属>するもののようで。
 じっさいに「津軽石」も「磯鶏」も、震災前すでに宮古駅長の管理下におかれていた(つまり両駅に駅長はいなかった)。

 難読駅としても知られた「磯鶏」の地名は、アイヌ語の「そげ(削げ)」に起源するという。
 津軽石より小さな駅には、おもちゃのようなホーム……

 どちらの駅でも周辺では、線路復興のうごきが進んでいた。
 復旧後の運営は三陸鉄道に引き継がれる。