どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉞9日目(3)釜石の奇跡…変貌とげる鵜住居あたり  今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1523-
★2017年11月22日(水曜日)
★11.3.11フクシマから → 2449日
★ オリンピックTOKYOまで →  975日







◆9月4日(月)午後、鵜住居の新文教地区

 世界遺産「橋野鉄鉱山」からの帰途、鵜住居に立ち寄る。
 県道35号(釜石遠野線)が東北沿岸部の<命脈>国道45号に合流する辺り、海岸背後の丘陵地。ここ1~2年の活発な動きが気になっていた。
 低平市街地の復興に先駆け、丘の上に、土地の人が「文教地区」と呼ぶものが現出していた。

 国道脇の入り口から、真っ直ぐ上に昇る階段と、裾を周りこむ緩いスロープ路とが、現代の<男坂・女坂>といった趣きであり。
 どちらも急ではないが、高さはそう、20メートルくらいになるのだろうか。スロープ路を行くと、鵜住居神社を左下に、運動グラウンドを右に見て校舎に向かう。

 手前左側が釜石東中学校、その先右側に鵜住居小学校、さらに奥に鵜住居幼稚園が仲良く同居している。
 正確には<同居>ではないのだろう。けれど、正面にまわって見ると、中学校と小学校が階段を共有するかたちになっている。

 この小・中校、《11.3.11》前はJR山田線「鵜住居」駅の東側、海に近く在った。
 東日本大震災津波に襲われた中学校は4階建ての校舎が全壊・水没、近所の小学校も同じような被害に遭ったが、その時そこに見られたのは、後に「釜石の奇跡」と呼ばれることになる、ゆきとどいた訓練の結果としての機敏な避難行動。

 その<奇跡>とは、津波の襲来に気づいた教職員の誘導によって、小・中校の生徒たちは迷うことなく1.5km離れた峠まで逃げのびた。
 これぞ、まさしく「津波てんでんこ」精神の発露。
 なかには小学生の子の手を引いて、坂道を駆け上がった中学生もあったという。

 結果、小・中校あわせて約600名の生徒は全員無事(ざんねんながら保護者を失った生徒は多かったけれども)。
 じつは……
 1人だけ中学生徒が犠牲になったが、その子はたまたまこの日、学校を欠席して家にいた。
 











◆追悼施設は近くの寺の境内に移転

 鵜住居の学校には「釜石の奇跡」があったが、いっぽうで地域防災の拠点、鵜住居地区防災センターは悲劇の舞台になってしまった。
 あの大津波のとき、ここは指定避難場所ではなかったにもかかわらず、多くの住民が手近なこの施設に身を寄せたためである。

 瓦礫のなかに無慚な姿を晒していた防災センター跡地に、犠牲者慰霊の追悼施設ができたのが2013年夏。
 その後、復興工事の進展にしたがって、わずかに場所を移したりしてきたが、15年2月にようやく、250メートルほど離れた常楽寺境内に落ち着くところをえていた。

 堂内に掌をあわせて慰霊の後、整地がつづくかつての「鵜住居」駅付近へ。
 しかし、工事関係者も「だいたいこの辺り…」としか答えられない、いまは偲ぶよすがもない跡地。

 駅周辺の今後は、「釜石市震災メモリアルパーク」に整備されることになる、とのことだった。