どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

銀幕のスター…ジャン・ギャバンと高倉健と

-No.1529-
★2017年11月28日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 2455日
★ オリンピックTOKYOまで →  969



◆その人とバッタリ出逢った

 映画は、『ヘッドライト』(1956年フランス、アンリ・ヴェルヌイユ監督)。
 主演は、ジャン・ギャバン。共演は、フランソワーズ・アルヌール。

 画面は、ざんねんがらテレビ、BSテレビ。
 ジャン・ギャバンは「映画スター」というより、やっぱり「銀幕のスター」である。

 ナゼか敷石の街で、(やぁ)と無言の邂逅。
 その人が向こうの世界からやってきたのか、ぼくが向こうの世界に行ったのか、よくわからなかったが。

 その人は、ちょっと斜にかまえて、ぼくもお返しに正面からかまえたりせずに、たがいに行きすぎた。
 ジャン・ギャバンという人には<斜にかまえた>ところがあって、それが似あった。
 じっさいに、銀幕でも正面きることは少なかったわけだけれど、それ以上に、もちまえのふんいきが斜にかまえていた。

 ぼくが、この人にゾクッと感動させられたのは『地下室のメロディー』(1963年フランス、アンリ・ヴェルヌイユ監督)という作品。
 しかし、その頃のぼくは<役者>の<演技>をつきつめようとしていた時期だったので、心境にはフクザツなものがあったのを忘れない。

 ジャン・ギャバンはスターだ。けれども役者ではなかった。
 ジワッと圧倒的な存在感の人。
 「大根役者」という言い方があるが、「うまい大根」であってこそ至高。
 まずい大根なんぞ喰えたものじゃない、否、そんなもん喰わされてたまるか。

 映画は『ヘッドライト』であった……
 内容は、ひとりの中年トラック運転手が、ドライブイン・モーテルで働く若きウェイトレス(フランソワーズ・アルヌール)と道ならぬ恋仲になり、貧しいながら築きあげてきたこれまでの人生を棒に振る。
 彼の子をみごもり、中絶手術をうけた安静の身の娘を、男はじぶんのトラックに乗せ、出直しの人生をはじめるつもりだった…が。

 <芸>のない、ごくありふれたお話しだ、が。
 このお話し、1986年蔵原惟繕監督によって『道』という邦画にリメイクされている、といえばオワカリいただけるだろう。
 『道』の主演は仲代達矢

 <芸>のない、ごくありふれたお話し。
 これに、<役者>の<演技力>で魅力をもたせるか、あるいは<スター>の<存在感>でいくか。

 監督としては考えるところだ。
 『ヘッドライト』のアンリ・ヴェルヌイユは、<スター>ジャン・ギャバンでいき、『道』の蔵原惟繕は<演技力>の<役者>仲代達矢にかけた。

 どちらがどう…ではない、どちらもあり。
 監督は勝手な者だし、俳優・役者もまた勝手な存在である。

 高倉健という役者、映画俳優が生前に言っていた。
ジャン・ギャバンのような役者になりたいと、ずっと思ってきた」
 要旨、背中で魅せる男でありたい、ということだった。

 (高倉)健さんという役者も、正直<スター>の<存在感>だけで生き、<芸>というものはなかった。
 ヤクザ映画の殺陣場面、刀のさばき方なんかでも、型で決めるより早く<ぶった切る>スタイルだった。
 「大根」…だけれども、すばらしく「うまい大根」だった。

 仲代達矢という<芸>を磨いた役者さんは、かつて、巨匠の映画監督にてんで評価してもらえなかった時期があった。
 この人の場合は、歳を喰うという磨きの真髄に迫ることで<芸>の役者から<存在感>の<スター>に昇華した。

 人それぞれの達成感。
 それに至る道も、また、人それぞれ。

 (ところで…)
 あの愛しのフランソワーズ・アルヌールが、このたびは、信じられないくらい色褪せて見えた。
 ぼくの青春を熱くした美貌はどこへ、だった。
 ファンなんて勝手なもんだ、ということも、また、まぎれもない真実。

 ジャン・ギャバン、1976年没、行年72。
 高倉健、2014年没、行年83。

 南無…合掌。