どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉝9日目(2)釜石郊外、世界遺産「橋野鉄鉱山」   今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1520-
★2017年11月19日日曜日
★11.3.11フクシマから → 2446日
★ オリンピックTOKYOまで →  978日











◆9月4日(月)つづき、いま行けるかしら…なんにもナイとこよ

 2015(平成26)年、「橋野鉄鉱山と高炉跡」が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のひとつとして、ユネスコ世界文化遺産に認定されたときから。
 釜石市内の道路には、「橋野鉄鉱山へ」の案内標識がにぎやかになった。
 しかし、そこは遠い、遠野市との境に近い山中、市内から県道35号(釜石遠野線)を車で50分ほどかかる。
 バスはずいぶん手前の人里までしかなく、そこからだと10kmほどの歩きを覚悟しなければならない…

 大槌町での木工ワークショップの折。
 参加者の一人は言っていた。
「行ったことは、ありますけど…。いま、あそこまで行けるのかな…。それに、ぜんぜんオモシロイとこじゃないですよ、な~んにもないし…」
 道路の不通情報は昨夏の台風禍、大雨で起きた土砂崩れのことで、それは現在はもう復旧なって、目的地までは行けるはずであった。
 それでも、わざわざ行って見るほどのことはない、と、その人は親切に思ってくれているのだった。

 道はたしかに遠く、その間に慰めになってくれるものといったら、カラーの道路案内標識だけ。
 あとは、のどかな田園と山峡の自然だけ。
 ふと、(なにかくふうがあってもいいんじゃないか)気がしたけれど、すぐに思いなおした。
 せっかくの<遺産>ぶちこわしの余計なものができるくらいなら、このままそっとしておいてくれた方がむしろイイのかも知れない。
 <世界遺産>の本旨も観光にはないはずだし。

 途中、道路復旧工事中、片側交互通行の区間があり。
 いよいよインフォメーションセンターへの脇道に入る県道には、この先「車両通行止」「通行禁止」の制止線があり、「土砂崩れ注意」の標識があった。

 大きな駐車スペースを備えたインフォメーションセンターで、概要案内の映像を観、音声ガイド(300円)装置を借りて歩き出す。
 すこぶる付きの気もちのいい晴天もあって、この日はハイキング・ムード。
 「なんにもないとこ」と語っていた方が訪れた日は、天気に恵まれなかったのかも知れない。 








◆3つの石組の高炉跡など

 音声ガイダンスをスタート。
 ガイダンスは、携帯者が自由にオン・オフ、スキップができるようになっている。

 ゆるい坂になっている南の端「一番高炉」からスタート。
 この先の山中に鉄鉱石採掘場(露天掘り)があり、その間は運搬路で結ばれていた、というが、いまは立入禁止。
 グリーンツーリズムのいま、近い将来にはぜひ「見学路」を整備してほしいと思う。

 高炉跡には現在、花崗岩の基壇の石組、高さ2.4mの4段のみがのこっている。
 この石組の内に、耐火煉瓦の炉。石組の壁はもっと高く積まれて漆喰が塗られた上に覆屋があって、総高は約7.9mだったという。
 炉には送風の「ふいご座」と「湯出し口」が設けられていた。
 見上げると、往時の活況が偲ばれるようだ、

 一番から二番、三番へと、北に向かって緑の草原を下りて行く。
 これだけの整備にも、ずいぶん人出と費用を要したことだろう。
 文化財保護も並大抵のことではない、地球規模でいけばたいへんな経済ごとで、戦争になんぞムダ金をつかっているゆとりはないハズであった…

 「三番高炉」が初期高炉の基本形であったろう、といわれる。
 花崗岩の基壇2段の上に、約5.4m四方・高さ2.8mの花崗岩5段の石組、往時の総高は約7.0mで炉の中央には「炉底塊」というものがあったそうな。

 この「三番高炉」が、「近代製鉄の父」と呼ばれた大島高任の指導によって1858(安政5)年に建設された仮高炉、のち1864(元治元)年頃に改修されて三番になったもの、という。
 明治の最盛期、橋野鉄鉱山の従業員数1000人、牛150頭、馬50頭、年間生産量25万貫(約930トン)。いうまでもなく日本最大の製鉄所であった。

 高炉跡の周辺には他に、長屋・鍛冶長屋・大工長屋、水車場や種(鉄鉱石)焼場、炭焼窯、事務所兼賃金を支払う御日払所などなどがあり、 西側を流れる橋野川から水を引いた水路が流れていた。











◆興味深かったのは「山神」の存在

 三番高炉の東、少し山側へ踏み入ったところに、朽ちかけた鳥居がのこり、その向こうに「山神」の祠があった。
 ぼくは、山の神の化身とも噂される「山姥」のファンだ。

 怖れられながら、懐深い守り神でもある「山神」さまは、このように町場を遠く離れた開発場においては飲食・賃金の次に欠くべからざるものであったろう。
 その祠こそいまはなかったけれど、がっしりと大きく刻まれた石碑が存在感を示していた。

 草原には黒く丸い鹿の糞。
 インフォメーションセンターの係員からは、「クマに注意」といわれ、蛇や虻などもいると教えられていた。
 ふんいきは、けしてワルくない。
 課題は、なにかもうひとつの魅力、それも新たにつくるのではなしに見つけることが、必要かと……