どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》被災地東北、18次<巡訪>/ ㉜9日目(1)山田町…JR山田線の駅を巡る   今回のテーマ[つぎのステップにむけて]

-No.1517-
★2017年11月16日(木曜日)
★11.3.11フクシマから → 2443日
★ オリンピックTOKYOまで →  981日




◆9月4日(月)朝、岩手船越駅へ

 復興への動きが町場で、だんだん顕著になってきた。
 これは復興にかぎったことではない、ふだんからそうだが、町の素顔にふれ、その町の基本的な事情を知るのにもっともいいところが駅である。

 道路交通が主役になった現代では、主要道路沿いの<道の駅>やショッピングモールが、従来の鉄道駅にとってかわる勢いだけれども、そこで町の素顔や実情がつかめるようになるには、もう少しの時が必要だろう。

 船越半島の付け根、内陸側に山田線「岩手船越」駅を訪ねてみる。
 小さな駅前広場の周囲にお店が数件、しかし人影はない…よくあるローカル駅の風景だった。

 津波の被害に遭った線路は不通になり、駅舎はベニヤ(構造用合板)で囲われていた、が。
 ホームに出て見ると、線路や鉄道施設の復旧が進んでいた。

 JR山田線は、盛岡―宮古—釜石のうち、宮古—釜石の沿岸部区間で甚大な被害に遭い、復旧に難航、一時は廃線の危機さえ憂慮されたが、それを乗り越え、遅まきながら回復の途にある。
 すでにお隣りの大槌町で感じていたその動きを、山田町でもたしかめることができた。
 



◆もうひとつ…「織笠」駅を探す

 「岩手船越」駅のお隣りが「織笠」駅。
 国道から脇道にそれ、(ここら)と思しきあたりに目を凝らすが見あたらない。どうやら駅舎も線路も流されてしまっていた。
 さらに心もとない細道を進むと、鉄道工事と思われる重機の動きが見られ、「そうです山田線の壊れた橋を架け直してます」工事監督の人が言う、その先、山田線のトンネルがぽっかり入口を開けているのが見えた。

 いったん国道に出て、もういちど脇道にそれ、トンネルの出口を探す、が。
 こちら側でも、やっぱりトンネルから先の線路は消えていた。
 土地人に尋ねてやっと、新しい「織笠」駅のできる予定という場所を知る。

 ほかには…手がかりになるものがない…あらためて酷くやられたことを痛感させられたことだった。
 



◆町の中枢「陸中山田」駅

 山田町は、他所者にとっては拠りどころのない町。
 山田湾の海辺を通る国道の、内陸側は、これといって特徴のない、山を背後に開けた<釜谷>地形。
 これといった寄る辺もなく、車で走るとなおさら、いつのまにか町中を通りすぎてしまう。

 ……いや、そればかりではない……
 海の方。牡蠣養殖の筏など、たくさん並べた山田湾の風光が明るく開けているので、ついそちらに目をうばわれているうちに町を出てしまう、言ったほうがいいかも知れない。

 「陸中山田」駅は、そんな町中も中心部にあったが、ことごとく流され失われた。
 その後の町の復旧というか、再開発の波に後を押される感じで、駅舎も再建が進んでおり。
 線路が南北に伸びはじめているところであった。

 ……………

 しかし、と想う。
 山田線の宮古—釜石間は、線路復旧後の運営が三陸鉄道に引き継がれることになっている。

 はっきり言えば、JR東日本にはもう「この区間の面倒を見る気はない」ということであり。
 まことに冷たい、実利主義は民営化の必然とはいえ……

 けれども一方で、この路線の将来を想うと、楽観できるものもない。
 新たに開通、運行再開されれば、その当初はおおいに沸くことであろう、けれども。
 利用客の多くを観光に依存するかぎり、根本的な再生はないはずで。
 沿線地域がこぞって住民の利用促進に熱心でなければなるまい、からだ。

 その意気どこまで、あるだろか。