-No.1222-
★2017年01月25日(水曜日)
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◆きのう「つくも神」の話しをしたら…
連想で「つくも髪」が、まるで水底からぽっかり浮いてきた。
「つくも髪」は「九十九髪」で「老女の白髪」のこと。
「つくも」は「次ぐ百」で、「九十九」は百から一画少ない、の意をこめて「白」に譬えた。
そこまではいい、のだけれども。
辞書の説明には、ときに混乱をまねきかねないものがあるわけで。
この場合は「つくも(江浦草)はフトイの異称」、というあたりから、どうもスッキリしなくなる。
白髪が「江浦草(つくも)、つまりフトイに似る」と辞書はいうのだが。これがわからない。
「ふとい(太藺)」は藺草の一種で、池沼に群生し、枯れる前の茎はもちろん緑。
枯れた茎で花筵を編むという、その中空の茎(稈)は藺草よりも太いというばかりで、肝心の「白髪」に連なるよりどころがない。
枯れたフトイの原、白茶けた茎のぼうぼうと乱雑にむらがり立つさまが白髪のようだ…とでもいうのだろうか。
待ってくれ、それじゃ老女の白髪ではなくて、鬼婆ぁのざんばら髪ではないか。
白髪とはいえ老女のそれなら、少なくとも梳きながれるようでなければなるまい。フトイの枯れた原っぱは、そんなイメージにほど遠い。
辞書では埒があかないから、植物事典もひもといてみたが、わずかに茎の色を「粉緑色」とする程度で、やっぱり梳くようにはならない。
ぼくにも、水草の葉群れの流れるがごとき状景の見覚えはあるが、どう想像をたくましくしてみても「緑の黒髪」まで。
とても白髪とは程遠いので、これはいちど、どこぞで本物を見てたしかめておかないと、いつか夢にうなされそうな気さえする。
ともあれ……
かみさんの頭がだいぶ白くなってきた。
といっても、じつは黒髪に白いものが混じる程度で。
ぼくの短い頭の髪は、もっと以前から白くなっており、床屋にいくたびに気になって進行具合を尋ねるのだが。
「まだまだ半分もいってませんよ」と、これは、どうやらまんざらお世辞でもないらしく、本人が気にするほどではないらしい。
プロにはプロの鑑識眼があるもので、白髪は色素をうしなったもので、黒髪より細く、また縒りがかかってくる、それだけの違いだという。
でも、足がヨレてくれば髪もヨレてくる……わけだ。
おなじ白くなるなら、いっそ真っ白がいい。
ぼくはもちろん、艶やかな総白髪に憧れるが。
いきつけの床屋は「あなたの頭だと、ざんねんながらゴマ塩どまり」だと、自信たっぷりに託宣する。
「真っ白になるのは頭皮の硬い人です」と。
そりゃ頭が硬いより、(思考は)柔軟な方がいいのだけれども……